平間藤助記念公園物語 あらすじ
40数年前、まちは寄せ場として活況を呈していました。商店街を肩がぶつかりあうようにして歩いたそうです。ゲストハウスとして、この建物の改装をはじめた2016年冬、突然現れたのが、要介護の平間さん。電動車椅子で現れて、手伝いをしてくれるようになりました。平間さんは長年、土工として働いていました。更地だった庭の、瓦礫を掘り起こし、集め、水だまりに土を盛り、セメントをこね、道具をかたづけ、庭は1日ごとに姿を変えていきました。平間さんは、体を動かし「夜眠れるようになった」と言って食欲がでてきたようで、みんなといっしょにまかないご飯を食べるようになりました。ときには、特別におかゆをつくりました。耳が遠いせいか、ときどき話が通じないものの愛嬌のある平間さんは、みんなを和ませてくれました。こどもたちを驚かせるのも好きでした。この建物はかつて共同住宅で、そこに住んでいたことが後にわかりました。

平間藤助
庭の土木工事が完成し、ゲストハウスとしてオープンすると、水撒きと掃除を日課とするようになりました。午前中にディサービスがある前日には「あした、昼に来て水撒くから、やらんとってな」と伝言していくのです。それでも、80歳、夏までの間に2回入院し、三日間集中治療室にいたそうですが、奇跡の生還を果たし、不死身の笑顔をみせていました。アパートの隣人という男性が、平間さんが心臓麻痺で亡くなったことを告げに来てくれました。平間さんがココルームに毎日来ていることをまわりの人もよくわかってくれていたようです。いまでも、庭には平間さんがいるような気がします。
