大谷燠(DANCE BOX Executive Director)
私たちDANCE BOXが、フェスティバルゲートに拠点を移したのは、2002年。私は大阪生まれの、大阪育ちであるが、フェスティバルゲートのある新世界に来たことは数回しかなかった。高校生の頃、当時、天王寺の公園内にあった野外音楽堂で芝居を観た帰りに、新世界に寄ったことがある。大阪万博景気でたくさんの労働者が全国から集まってきて、新世界も活気に溢れていた。そんな大人たちの間を駆け抜けて子どもが遊んでいる。
「にいちゃん、今何時?」
「○×時や」
「おおきに。なんやけっこう、ええ時計してるやん。ほな、さいなら!」
まさに、じゃりんこチエのようなたくましい子どもに感心したことを覚えている。現在の新世界は、そんな子どもを見ることはなくなったが、大衆演芸場やスマートボール場、囲碁センター等に昭和の香りを感じることができる街である。
私たちの活動は主としてコンテンポラリーダンスの創造環境をつくることにあるが、同時に自らの劇場をもつことで、地域に対してどのようなことができるのか・・という課題が出てきた。まず、私たちの劇場がこの地域にあるということ、その劇場のなかで公演されているコンテンポラリーダンスのことを知ってほしいと思った。そこで企画したのが「コンテンポラリーダンスin新世界」である。これは、街中でダンスを踊る現場をつくるとともに、ツアー客には新世界の街の魅力を発見してもらうという企画である。毎年続けることで、少しずつ、地域の人に私たちの活動について知ってもらうことができたと思うし、他地域の人が新世界の街をおもしろいと思うような変化も起きてきたと思う。その他にも、オランダのアーティストが地域の高齢者と共同して作品制作をしたり、小学校でワークショップを行ったり、老人憩いの家で出前ダンスをしたり、或いは日本橋のパレードに参加することで、私たちにとってもこの街がかけがえのない場所になってきたのである。昨年8月に新世界アーツパーク事業を担う4つのアートNPOが共同して開催した「ビッグ盆!」は、42年ぶりに地域の盆踊りを復活させたり、小学生と新しい盆踊りの創作をしたり、アートを通じた地域との協働が成功した事例となった。
そんななか、新世界アーツパーク事業が今年7月をもって打ち切られることになり、暫定公共利用のコンペが行われることになったのである。商業施設としてはすでに失敗しているわけで、今回のコンペの大きな焦点は<公共性>をどうとらえるのか、ということにあると思う。従来の公共性は近代産業がもたらした大量生産、大量消費に裏付けられた<量>の基準によって計られてきたが、その結果、皮肉なことに大きな格差社会をつくってきてしまった。そのことが家庭や教育現場から一般社会に至るまで、様々な問題を引き起こしている。
今、社会的弱者の視点から社会を見直すことが必要とされている。今回の提出案でソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)とアートという概念を二本柱としたのもそのような理由からである。多種多様な人が相互の価値観を認めながらコミュニケーションをとり、共存共生できる社会の実現。それが、創造都市の実現にとっても必要不可欠なものと考える。
フェスティバルゲートの再生は、すなわち大阪という都市の再生につながると思うことは、けっして大袈裟なことではない。今回のコンペは、現代建築遺産といわれるフェスティバルゲートが、近未来に向けた実験的なワンダーランドに変身する絶好のチャンスと考えている。
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大谷燠(おおたに いく)
大阪生まれ。1991年から2001年までTORII HALLプロデューサー。1996年、「DANCE BOX」を立上げ、ジャンルを超えたコンテンポラリーダンスの公演・WSを年間約30本企画制作する。2002年DANCE BOXをNPO法人化。大阪・新世界フェスティバルゲート内に「Art Theater dB」を開設し、アーティストの育成と地域社会とアートの新しい環境づくりに力を注ぐ。近畿大学国際人文科学研究所講師。神戸大学国際文化学科非常勤講師。関西経済社会研究所文化アドバイザー。