log osaka 新世界アーツパーク 未来計画

第三回シンポジウム

 
第一部

甲斐
 お待たせしました。第3回新世界アーツパーク未来計画のシンポジウムを始めたいと思います。今日の司会をさせていただきます、ここ(新世界アーツパーク)のNPOのひとつ「記録と表現とメディアのための組織 / remo」の代表理事の甲斐と申します。よろしくお願いします。
 今日の構成は、1部と2部になっています。あそこに書かれているように、7時半から1部、『大阪市芸術文化振興条例』を読み解きながら、ここがどうだ、ということをやろうと思っています。2部では、“新世界とアートとフェスティバルゲート”ということで、これまでやってきた、ここフェスティバルゲートの中ではなく、外に出てこの界隈に出てやってきた活動を見ていき、また、地域の方に上がっていただいて、我々がここにいて、地域に出て活動しているのを、本当のところどんな感じで受けとめていただいているのか、というコメントを聞きながら進めていきたいと思います。
 実は、開演までの間に演奏していただいたのはBRIDGEのスタッフでもある音楽家の皆さんです。バンド名って、これあるの?

西川
 あ、ないです!

甲斐
 ないのね(笑)。今日のために集まってくれた、いわば即席のバンド・ユニットなんですが、休憩のときにもまた演奏していただけると聞いています。楽しんで下さい。
 では、第1部始めたいと思います。この『芸術文化振興条例』を真ん中に置いてそれを読み解くという機会を作るにあたって、第1回、第2回で皆さんに説明させていただきました、大阪市のゆとりとみどり振興局文化集客部文化振興課、つまり僕たちと今ダイレクトにやりとりをしている部署の、どなたか役職の方に来ていただいて一度お話をしたいという風に申し入れをしました。それを受けいれていただいて、このシンポジウムのチラシの方にも出演すると書いてあったのですけれども、急遽もろもろの事情で出られない、という連絡がありました。文書でいただいているので、これをそのまま読ませていただきます。


『平成17年8月3日
新世界アーツパーク未来計画実行委員会 様
大阪市ゆとりとみどり振興局文化集客部文化振興課長 松野廣子

第3回シンポジウム「新世界とアートとフェスティバルゲート」に本市職員が出席しない理由について

 第3回シンポジウム「新世界とアートとフェスティバルゲート」に、当初は本市職員もゲストトーカーのひとりとして出席する旨、お伝えしていました。しかし一方で、最近のフェスティバルゲートの運営をめぐる大きな動きがあり、そのような状況のもと、現在本市では条例に基づく行動計画の策定作業を本シンポジウム参加の先生とも別途機会を設け進めています。
 また、実務的にはアーツパーク事業の継続を前提とする平成18年度予算要求作業を前倒しで進めているところでもあり、市の内部調整業務も今後本格化するところです。以上の理由から、今後の作業を円滑に進めていく観点から、欠席せざるを得ないと判断致しました。
 このような事情があるとはいえ、NPOをはじめ、関係者の皆さんに多大なご迷惑をおかけしたことをお詫び致します』


 という文書です。まとめると、2点ですね。まずは、条例に基づく行動計画の策定作業をおこなっている、と。文書の中で言われているシンポジウム参加の先生というのが佐々木先生でして。あ、また後ほどちゃんと紹介します。で、そのことが問題であると。問題というか、出席できない理由のひとつであると。次に、平成18年度の予算要求の作業を前倒しで進めているなかで、内部調整をする上でちょっと控えたい、という風にコメントをいただいています。本来ここに大阪市の方がいますということで僕たち広報させていただいたのですが、それがこういう理由で欠席になったということについて、どうかご理解いただければと思います。よろしくお願いします。
 では、1部のほうに入っていきます。まず、この『大阪市芸術文化振興条例』です。画面に出しましょう。これをもとにお話をすすめていきたいと思います。そこで、この条文の中にいろいろな目的であるとか基本理念であるとか様々書かれてありますが、その一部抜粋を、cocoroomの上田假奈代さんに朗読していただきたいと思います。

上田
 今日は皆さん、暑いなか来てくださってありがとうございます。読みます。


大阪市芸術文化振興条例
平成16年3月29日
条例第20号       抜粋

(基本理念)
第3条 本市における芸術文化の振興は、次に掲げる理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、推進されなければならない。
(1) 芸術文化の振興に当たっては、市民及び芸術家の自主性が十分に尊重されるべきものであること
(2) 芸術文化は、市民及び芸術家の双方が支えるべきものであること
(3) 芸術文化は、市民が芸術家の活力及び創意を尊重するとともに、自らこれに親しむことにより、その振興が図られるものであること
(4) 芸術家は、その活力及び創意を生かした自主的かつ創造的な芸術活動を行うことにより、芸術文化の振興に主体的かつ積極的な役割を果たすべきものであること
(5) 芸術文化の振興に当たっては、多種多様な芸術文化の保護及び発展が図られるべきものであること

(本市の責務)
第4条  本市は、基本理念にのっとり、市民及び芸術家との連携を図りながら、芸術文化振興施策を総合的に策定し、及び実施するものとする。

(市民が芸術文化に親しむ環境の整備)
第5条  本市は、市民が優れた芸術文化に身近に親しむとともに、高齢者、障害者、子育て層をはじめ広く市民が容易に芸術文化に親しむことができるよう、環境の整備その他の必要な措置を講ずるものとする。

(地域における活動の活性化)
第6条 本市は、地域において市民が積極的に芸術文化に親しむことが芸術文化の振興に資することにかんがみ、市民が地域において芸術文化に親しむことができるよう、芸術作品を鑑賞する機会の提供、公演等への支援、情報の提供その他の必要な措置を講ずるものとする。

 はい、ありがとうございました(会場拍手)。
 

 
甲斐
 以上のように、一部抜粋でまことに申し訳ありませんが、このようにすごいいいことが書いてあります。これを読み解きながら僕たちの活動に当てはめながら話を進めていきたいと思います。
 すみません、遅れましたが紹介させていただきます。まず、僕の横におられる佐々木雅幸先生。大阪市立大学大学院の創造都市研究科の先生でおられると同時に、この『芸術文化振興条例』の、どう計画を進めていくかというところで、大阪芸術文化振興施策検討委員会というところのメンバーをされておりまして、それが先ほどの理由と重なってくるんですけど、そういうお立場で今日はコメントいただこうと思っています。それで、順にNPOダンスボックスの大谷さん、朗読していただいた上田假奈代さん、ビヨンドイノセンスから西川文章さん。

西川
 ビヨンドイノセンスの代表理事は内橋和久なんですが、今日は来れないので代理で僕が出ています。よろしくお願いします。

甲斐
 はい、よろしくお願いします。

会場
 すみません、質問が。

甲斐
 せっかくだからマイクちょっと。はい、いきなりですが、質問にいきます。

会場(曽和)
 質問なんですが、いま朗読していただいたなかでたびたび出てきました『市民』という言葉。これちょっとどういう意味か。ま、なんとなくわかっているような気持ちなんですが、ちょっともう少しかいつまんで説明していただかないと、それによって私たちが近づけるかどうなのか、ということに関わるのではないかと思うのですが。

甲斐
 はい。で、ですね、この『大阪市芸術文化振興条例』。いったん僕が簡単に概要だけ説明させていただきますと、これ大阪市が作ったものなんですね。だから本当はここに市の方がおられたら即答していただけるかと思います。あの、何かご返答って、どうしたらいいですか?

佐々木
 まず、ご本人がどう考えておられるかを聞いてみましょう。

甲斐
 そうですね。まず質問いただいた方から、「市民」というのがどういうふうに。

曽和
 概念的には大阪市が作られたことですから、大阪市に在住しておられる方たちが中心であろうと。そういう概念でとらまえると非常に広くてですね、地域密着性がまったく結びつきませんのでね、これがたとえば新世界でしたら新世界の住民というように読み換えられていくのか、というところがちょっとこう。私、はじめてのことですんで、何のことやらとそういうレベルなんですが。

佐々木
 私は大阪市長ではないし、文化振興課長でもないので、私の個人的見解になりますが、今おっしゃられたように、この界隈に住んでおられる方が市民である、と読み換えてもらっていいです。そういうふうに理解してください。

甲斐
 解決ですか。はい、そうですね。これ、同時に大阪市で働いている人も入るのは入るんですよね。行き来している人たち。その人たちも同時に(市民の範囲に)入ると理解していいんじゃないかと思います。では、各NPOから、活動紹介をしてもらいましょう。例えば、基本理念の3条のなかの「(1) 芸術文化の振興に当たっては、市民及び芸術家の自主性が十分に尊重されるべきものであること」という一文があります。この(1)(2)(3)の流れでもいいです。とにかく、こういうことをやってるよね、ということの確認で、活動と照らし合わせてコメントいただければと思うのですが、いかがでしょうか。

大谷
 では、私から。その3条はちょっと当たり前すぎるんであまりチェックしなかったんですが、いくつかこの条例を読み直して、条例としては非常によくできているという気がしました。実際に自分たちがやっている活動というのが、この条例に照らし合わせたとき、たとえばこの前文にある、「かかる交流を通じて先進的に多種多様な文化を受け入れ、……中略……このように大阪は古くから先進的で優れた芸術文化を創造し、……中略……現在にも受け継がれている」という文章がありますが、確かに現在でも大阪から先進的な芸術家というのが非常にたくさん生まれています。ところが、生まれてはくるんですが、同時に東京や海外に拠点を移す芸術家が非常に多いというのも現実なんですね。たとえば、ダンスボックスでいいアーティストが育ってきて、大阪を拠点として活動したいと思っても、環境があまりよくない。海外と比べると歴然としてよくないわけですけども、東京と比べても生活環境がよくないという現状があります。せっかく大阪で生まれた芸術あるいは芸術家が地方に流出していくことを非常に残念に思っている現状があります。そのために、私どものNPOであるダンスボックスでは、大阪独自のアーティストを育成して、大阪から東京を経由せずに海外にアーティストを紹介していくという事業をやっています。
 次に、これも前文なんですが、「市民が芸術文化に親しむ環境の整備並びに自主的かつ創造的な芸術活動を行う芸術家の育成及び支援に努めて」ってことですね、これはいま言ったこととも重複しますけれども、育成支援ということに、これはダンスボックスだけでなく各NPOが非常に努めています。とくに育成ということには努力しております。それが新世界アーツパーク事業として、大阪市との公設置民営というかたちで大阪市と恊働するなかで、そういう育成をやっていくことで、その効果はさらに増加していると思います。ここ数年、関西からダンスのアーティストが、非常にいいアーティストが出てきている。たとえば、トヨタ・コレオグラフィー・アワードという、新進の振付家に与えられる賞があるんですが、今年でまだ4回目で、そのうち3回で関西のアーティストが賞をとっているという現実をみても、いま本当に関西から若いアーティストが育っていて、それが全国的な評価を得ているという事例になると思います。
 それから、第4条、本市の義務、「市民及び芸術家との連携を図りながら、芸術文化振興施策を総合的に策定し、及び実施するものとする」。これは、当然連携ということです。芸術というものが市民の生活とまったくかけ離れていては、今後のアートというものは成立しにくくなってきている。そういう時代の変化があります。そのなかで、いわゆるダンスや美術という鑑賞型の、たとえば美術館に行って絵画や彫刻を鑑賞する、劇場に行ってダンスの公演を鑑賞するという、鑑賞だけが一般市民が芸術に触れる機会ではなくなってきている。たとえば、ワークショップを開催することで、参加型のアートの楽しみ方が増えてきている。そういうことも、実際僕たちはやっているなあと思いました。
 それから、第5条、市民が芸術文化に親しむ環境の整備、「高齢者、障害者、子育て層をはじめ広く市民が容易に芸術文化に親しむことができるよう」という項目がありますけれども、たとえば、地域の高齢者の方、これは本当に新世界の方にご協力をいただいてやっているんですが、現在『dB international works』というプロジェクトで、オランダのひとりの女性、Be-wonderというアーティストが一ヶ月間大阪に滞在して、80才以上の高齢者に話を聞いて作品を作っていく。これは、大阪だからこそ生まれる作品、大阪でしか生まれない作品というものを、海外のアーティストがこの地域に滞在することで作っている。いま実際に、新世界の商店街のおばあちゃんのところに、今日も撮影と録音に行ってきたんですが、今日は「更科」(注:新世界にあるそば屋さん)のおばあちゃんに話を聞きに行ったりとか。そういうかたちで地域の方と連携するということも、実際にやっています。あるいは、この地域だけということではないんですが、この地域でもやりますし、障害者のいろんな施設がありまして、たとえば堺の「ビッグ・アイ」という施設があるんですが、ここでの障害者向けのワークショップを3年連続コーディネートしたり、奈良の十津川村に「こだまの里」という更生施設があるのですが、そこの十周年祭でワークショップや障害のある方の発表のディレクションをしたり、そういうかたちで高齢者や障害者、あるいは子育て層と関係をもっている。こういう活動もやっているなと思いました。
 それから第6条、地域における活動の活性化、「芸術作品を鑑賞する機会の提供」。これは後で紹介致しますけど、ダンスボックスでは年に一回ですけど、「コンテンポラリーダンス in 新世界」ということを、劇場の中ではなく新世界の街中でやらしていただいています。これは、ふだんなかなか劇場に来れない方が、無理やりかもしれませんけど、コンテンポラリーダンスという、ひょっとするとわけのわからないかもしれないものに触れる機会を作っていく。あるいは、新世界というと、例えば全然新世界に来たことがない若い女の人なんかは「怖い」ということを言われるときがあります。僕はけっして怖くなくてすごく魅力のある街だと思っています。そういうことをひとつの企画をすることで、この地域以外の若い女性が新世界に少しずつ来るようになったかなと思っています。これは、ダンスボックスだけではなく、ココルームとも、それからremoと直接ではないんですけれど、ブレーカー・プロジェクトというかたちで街の人と関係をもってやってる。これは地域のメリットだけでなく、アーティストにも非常にメリットのある事業だと思っています。
 ちょっと長いですけども、次に第7条、芸術文化の創造のための措置、「自主的かつ創造的な芸術活動を行う芸術家及びアートマネージャー、舞台技術者その他の芸術活動に関わる者を育成し」、これも、私たちはダンスボックスというところで若いアーティストたちを育成しています。だんだんだんだん世界で活躍するアーティストが育ってきてますし、たとえばインターン制度を導入することで大学生や大学院生が一定期間アートマネージャーの勉強をダンスボックスでするっていう状況も出てきています。
 それから第8条、青少年のための措置。これは実際に地域の小学校の総合的な学習の時間を使って、他地域でやってきたのですけれども、この地域でもやっていきたいと思っています。以上のようなことを考えますと、この『芸術文化振興条例』に関して、僕ら4つのNPOは、すごいやってきたんじゃないかなって思いまして、『大阪市芸術文化振興条例』に最も合致する事業が新世界アーツパーク事業ではないか、というふうに思ったしだいです、はい。

甲斐
 あの、じつは、ここに大阪市の人がいて、このやりとりをして、大阪市さんすごいなぁ、って言いたかったんですね。他都市からもすごい視察に来ていただいていて、それは「こういったかたちで結果を残しているアート・文化事業というのはなかなかすごい」ということで全国から来られるんです。そういったことも含めてすごいな、というのを確認したかった、というのが場の趣旨でした。で、何か、先生、いまの流れで唐突かも知れませんが、芸術文化振興施策検討委員会というもののなかで、いまこの条例を元にどうしていこうか、みたいなことを会議されている中で、ここ(新世界アーツパーク)は、どういう感触をお持ちなんでしょう?


 
佐々木
 じつは私も以前、視察に来たことがあるんですよ。3年ほど前の冬で、甲斐さんたちが入居する前、改装中のときでした。僕はそのときはまだ京都の大学に籍を置いていて、当時、行政が文化芸術の支援をしている例としては、金沢の市民芸術村や京都の芸術センターがよく知られていました。使われなくなった倉庫や廃校になった校舎を市が買い取って、文化を鑑賞するためだけの施設ではなくて、創造のプロセスを応援する場として再生する。つまり、新しい芸術表現や作品を、アーティストや市民といっしょに創造していく場所が90年代、各地にできてきました。それは、立派な劇場があってイタリア製のオペラを見るような、単なる文化鑑賞や文化消費の場ではなくて、創造型の文化事業に取り組む場づくりです。そして、大阪もどうやらそういうことに目覚めたらしい、吉本のお笑いやエンタメ系が優勢だったところで、かなり実験的で創造型の事業を大阪市が始めるようだ。しかも、その場所たるやとても変わったところ、遊園地でやるらしいという噂を聞きつけてすごく興味を持ち、視察に訪れたわけです。とても大阪的というのか、私たち研究者の間でも評判でしたからね。
 これまでの流れを振り返ると、前市長のときに「国際集客都市づくり」をめざしたけれどうまくいかず、その後に東京の後を追いかけるような「世界都市構想」を打ち出して、ワールドトレードセンタービル群を作りました。それから次は「文化集客」という表現を使って、ディズニーランドに象徴されるようなテーマパークを作って人を集めようとした。そういう流れのなかで作られた遊園地、つまりこのフェスティバルゲートができたけれど、運営に行き詰まってしまった。それでやっと大阪市も舵を切り直すというか、「文化創造」に目覚め、新世界アーツパーク事業が立ち上がったわけです。
 でも、まだまだ過渡期ですよね。お手許に8月2日付けの日経新聞のコピーがあるかと思います。これは私の友人である都市計画家のチャールズ・ランドリー氏が書いたものです。私も創造都市に関する原稿を書いて今年の4月に掲載されたのですが、「創造都市」という考え方の一つは、文化創造を大事にする都市のことです。産業創造ということも含まれますが、「創造」を具現化させていくためにこの場所をどう活用していくのか、真剣に考え直す時期でしょう。
 ただ、破産の整理がきちんとできていないので、かなり無理しているということも感じます。たとえば、先ほど読み上げた『芸術文化振興条例』を所管するのは文化振興課ですが、この施設は文化振興課が作ったわけではなく交通局、いや、そもそもは信託事業ですから最初の事業主体は銀行ですね。そこに文化振興課が入り込んで、その中で予算がついて事業をやっている。この方法ではある程度の事業継続は見込めるけれど、「大家」である交通局とは文化創造に関しての温度差があるでしょうね。文化振興課が家賃を負担する分、アート系NPOに入ってもらって事業運営を任せたのは、すごくいいアイデアだったと思いますが、危うさも孕んでいる。つまり、『芸術文化振興条例』ができて文化創造ということを高らかにうたっているけれど、文化振興課のポジションは大阪市全体の中では小さく財源も少ない。それでもともかく実績を作れば市民も変わるだろうし、行政のなかの評価も変わるだろう、という思いでがんばって先駆的な事業を手がけてこられたんだろうと思います。私は感心する一方、その行く末についてちょっと心配もしています。とてもすばらしい成果が上がっていることと、足許が非常にぐらついているという、このアンバランスな状況をどんなふうに解決できるのか、考えているところです。

甲斐
 その中で、僕らがいま、どう言ったらええのかな、集客施設のなかにいる店子みたいな感じなんですかね。何なんでしょうね、僕ら。その店子のなかに入り込んでいる動きとして、その大家のもういっこ手前の大家さん。小っちゃい大家さんと大きい大家さんがいる、と。小っちゃい大家さんと話するときに、これまでの流れのなかでずっと、ここにもそういうふうに書かれてないんですけど、突然クルッとイメージ的に、『支援』というかたちの言葉に変わっていったんですね。
 これ、説明が長くならないようにお伝えしたいんですけども、この『条例』ができあがる前に、大阪市の『芸術文化アクションプラン』というのがありまして、それが十ヵ年計画でやるから、こうこうこうで一緒にやらないか、というお声がけいただいて僕たちはここに入ってきた。そのときの感覚では、大阪がおこなう文化施策の、あるパートナーとして、末端として動くという意識だったんですね。だから、共通のテーブルにアクションプランがちゃんとあって、それに照らし合わせて活動をやっていくっていうふうに動いていってた。それがなぜか、最近の文化振興課さんとのお話の中で「支援」という形に僕らの立場が変わってきていて。知らん間に。何でしょうね、これ。「支援」ていう形と「パートナー」っていう形は、かなり意識が変わってきているっていう感じがするんですけども。つまり、そうなると僕たちは「助けてもらっている人」っていう立場にスライドしてしまっているというように感じているんです。
 しかも、『芸術文化アクションプラン』っていうのが、ある時期から集約される形で、『文化集客アクションプラン』にもスライドしてた。えと、僕らが見ていたのは『芸術文化アクションプラン』。その後にできた『文化集客アクションプラン』っていうのにプチュッと組み込まれていってたらしくて。「いやぁ、ここにちゃんとここのことを書いてあるよ」って示されたページ数が、1ページなんですね。こっち側(『芸術文化アクションプラン』)にはこんな(厚さ1.5cmくらい)ページを使って事業のいろんな説明や報告が書いてあって、そこに僕らは「パートナー」として仕事をいっしょにしているんだ、ということで話が進んできたと思ってたんですけど。とにかくこの二つの『アクションプラン』のことについて、どことどこをどう整理していけば、ボタンの掛け違えを直していけば、大阪市が考えていることと、僕らがやっていることと、ちゃんと評価っていう軸があって評価委員がいて、ダメだったらダメで僕らは何かを改善しなくちゃいけない、という風に考えてる。
 それについても考えたいんだけど、それと同時にもっと大きな問題があって、大きい大家さんがいてて、大きい大家さんの問題で小っちゃい大家さんが困っている。その二つの問題があって、僕らはどこに向かうのかがわからない、というのがいまの現状です。
 ごめんなさいね、1回目、2回目のシンポジウムの経緯っていうのは、やっぱりご存じでない方もおられるので、説明兼ねてコメント入れさせていただきました。そこで、一回ここ(『芸術文化振興条例』)に戻ってみて、活動が合ってるのか合ってへんのか、皆さんの前で簡単にご説明させていただければ、と思ってこの機会を作らせてもらったんです。えと、他のNPOのなかで、これをうちはやってるぜっていうの、皆に知っておいてもらいたいみたいなことがあれば、今のうちに是非。

上田
 はい、大谷さんが詳しく説明を話してくださいましたので、ほとんど、以下同文という感じなんですけれども。条文の最初のほうですね。定義のところがございますが、この第2条のところ。芸術って何やろうっていうのをこのところ本当によく考えるのです。私は、芸術というのは術ですから、生きる術だととらえています。生きる術、これだととっても幅広くなるんですけれど、人が生きてゆくときに、誰かと何かを話したり、作用を起こしたり、反応しあったりしていることっていうのは、もう表現じゃないかと思ってますすべての人が、生きている人はみんな表現しているわけで、表現者だと思うんですね。ただ、それを意識的に、継続性ということを考えて、そして、社会的な役割として表現を取り扱う人が芸術家なのかな、と思うわけです。この芸術家は、生きる術を広めていく人たちかなと思うんです。私たちは、NPOという法人ですから、組織としてこの術をどう活かしたら社会とつなげていけるかなーとか、役にたてるのかなというのを考えて活動をしています。ので、この条例のなかで、文化芸術っていう、かなり定義をわかりやすくされているんですけど、その骨子のところで、そういう深い、表現と生きることというのが押さえられているようにも読み取れ、読み取れないようにも読み取れ(笑)、ちょっとね、そこが心配なんですけど、汲まれていたらいいなあと思うのですが。佐々木先生、これは汲まれていると思っていいんですかね、いま私が話したようなこと。

佐々木
 善意に立って解釈すれば、含まれています。ただ、うがった見方をすると、当然だけど国のほうに上位の法律があるわけで、そっちのほうは「芸術文化」と言わずに、「文化芸術」振興基本法と言います。どういうわけか文化が前に出て、芸術が後にくっついています。おそらくそれは文化庁が所管してるから、文化を先にというぐらいのことでしょうか。法律の世界はこういうふうに、解釈が多様にありますので、やっぱり必要なのは紙に書いてある法律を血肉化することです。そしてそれを担うのは、先ほど言われたけど、市民なんですよ。やっぱり市民が、たとえばこの浪速区民の方が「ここで行なわれている様々な実験的アートは一見、自分たちには無関係のように見えるけど、けっこう面白いじゃないの」と感じてくれて、たとえば上田さんのcocoroomにやってきていろいろおしゃべりする。そして、そういったおしゃべりが上田さんの創作のエネルギーになって新しい詩が生まれ、それがまた市民に受けとめられていくというような、そういう交流が生まれてきたときには、まさに芸術が生きる術、生活の技になりますよね。それが、この地に根付いた文化が生まれたということですし、文化創造の意味だと思うんですね。
 大阪にいま欠けているのは、文化創造のスポットです。創造の場をたくさん作っていった結果として、文化集客が実現できたというのならいいんですが、今は「まず文化集客ありき」になってしまっているように感じます。財政難で苦しいのはよくわかりますが、何とかして活性化しなきゃいけないと焦って、非常に近視眼になってしまっている。近視眼になってるから、文化創造の本来の意味がわからなくなってしまっているのではないでしょうか。
 新世界アーツパークで行なわれている営み、たとえばホームレスの人たちがアートや自己表現に興味を示して、自分たちも何かやってみようじゃないかと思ったり、障害者の方がやってきてワークショップに参加して身体を動かすことで、自分の可能性に気づいてエンパワーされるなど、すでに起こっている変化を見てほしいですね。また、地元の商店街の方にとっても、商売には直接役立たないかも知れないけど、このわけのわからん人たちは地域に根付いてくれて、まちを面白くしてくれてるんじゃないかと感じ始めているでしょう? 行政側はそういったプロセスをもう少し長い目で見て応援していかないと、やっぱり文化創造都市にはならないですね。
 大阪が元気になるために、もう少しじっくりと、ここで生まれてくるものに期待したほうがいいと思います。もうひとつかふたつ、アート系NPOも増やしましょうと、そういう意識になってほしいですね。でも、実際はまだ夢物語でしょう。いまのままじゃ簡単にいかないので、私たち一人ひとりが当事者意識をもって、いろんな人にも集まってもらって、輪を広げていくというか、文化創造の渦を巻き起こす必要があるでしょう。先ほど紹介したランドリー氏がいろいろ書いていることのひとつは、「これまで解決できないと思われていたような問題を、アートの力を利用して創造的に問題解決することができる、そういった都市が創造都市だ」と言っています。ここの問題を創造的に解決してみるというのも、非常に面白い実験ですね。このプロセスそのものも芸術かもしれませんし、私たちの知恵を寄せ集め、技を磨いていく。そんなつもりで取り組んでみたらどうかなと、ちょっと傍観者的かもしれませんが、そんなふうに思っています。

甲斐
 そのつもりで取り組んでいきます(笑)。えと、そしたら、何か。大丈夫、西川さん?一言だけでも、ブスッと。

西川
 はい。えーっと、まあ、大谷さんがおっしゃったのでそのままなんですけども。いまさっき佐々木さんがおっしゃってくれたんで、ちょっと胸がホッとしたって感じで。ビヨンドイノセンスは基本的にミュージシャンばかりの集団、集団でもないな、ミュージシャンが集まって好きなことやってるっていう意識しか、あ、こんなん言うたらあかんのかな(会場笑)、えっとですね、やってるんですよ、好き勝手なことをやりたいやつやってきてやれって。それは文化振興の自主性が十分に尊重されるべきであることに当てはまっているので(会場笑)、僕はいいと思いました。ま、何となく見ていくと、だいたい。だいたい、だから僕らは、これがあってこれを実現するためにここをやってるわけではない…、ないん…、言っていいんですかこれ?

甲斐
 どうぞ。

西川
 ないんです。ほんで、結果的にある程度、ある程度というか、この内容に入ってるなっていうのと、あと、僕とかミュージシャンなんであんまり人間的に、その、ちゃんとした人は少ないので(会場笑)。

甲斐
 ちゃんとしてるやん(笑)。

西川
 や、そんなことないですよ。何か、たぶんあんまりその、いっぱいいろんなことができる人はいないと思っていて。そうそう、ほんで佐々木さんがさっきおっしゃったようなこと、僕とかそういうの意識とかあんまりできないんです。もう音楽しかわかんないっていう人、正味ほんまそうなんで。でも開き直ってるわけじゃなくて。でも何か自分が、BRIDGEもそうですけど音楽とか、やってていいんだなっていう感じがして、よかったような気がします。

甲斐
 はい、ありがとうございます。すいません、ちょっと時間も押してきたので、一部を終わりたいと思うんですが、会場の方から今の話の中で突っ込みであるとか質問であるとかありましたら、どうぞ。
会場(曽和)
 新世界で写真屋をやってます曽和と申します。今のこの条例の中でちょっと引っかかった部分がありまして、定義2条「芸術活動 芸術作品を創作し、又は発表すること(専ら趣味として行うものを除く)」ということが書いてありますね。それらがいわゆる芸術家であると、芸術活動である、と。

甲斐
 となってるみたいですね。

曽和
 この線引きは何ですかね?
 私は写真屋ですけれども、三十数人のバンドを組んでる、代表でやってるんですけど、それは趣味なんですよね。だけど、演奏もします、あっちこっちボランティアで慰問もしますし、音楽活動はやってるんです。そのことと、趣味でない方の音楽活動との差がですね、NPOを立ち上げてやればそれが芸術なのか、NPOを立ち上げないとそれは素人なのか。そこの差がよくわからりません。で、そこでですね、皆さんがNPO法人というかたちで、常々音楽ないし芸術活動を好きでやっておられる。そのNPOを組まれた理由ですね、そこをお聞きしたい。何のためにNPOを作らたのか? 目的ですね、そういうのを作られたらどこかから予算が来るから活動的に楽になるのか? 僕らも、実質その三十何人のバンドを、森ノ宮の練習場借りてやっています。年間けっこうな練習場代もかかります。これは全部メンバーの出資でやってます。演奏会をするのも、今年は毎日新聞社の下のオーバルホールを借りてやりますが、百万かかります。これも全部みんなのお金でやります。そのことと、NPOを立ち上げて例えばこういうところで演奏される、その違いは何でしょうかね。

西川
 あの、とりあえず音楽の話が出たので、僕が。
 ビヨンドイノセンスが立ち上がった理由っていうのは、いわゆる即興演奏とか前衛音楽ですね、日本であまり認知されていない、海外でより認知されているような音楽を日本でも広めていこうとか、例えばここ大阪の方に触れる機会を多くしていくとか、そういう人材を育てていくとかね。そういうことなんですよ。ここ(BRIDGE)で、例えば僕が演奏します、というときに予算が出るかというとまったく出なくて。お客さんを呼んで、お客さんを呼んだお金から、チケットですね、チケット収入でBRIDGEにお金を払ってっていう形でやってるんです。だから予算が出ているとかじゃなくて、ここを僕らは使わせてもらっているというか。何かそうやって面白いことができていったらいいかなっていう考え方でやっていて、たぶん、ほとんど同じやと思うんですよ(笑)。

曽和
 だから、NPO法人を立ち上げての活動は何のためにわざわざNPO法人を立ち上げられるという、その目的を。

西川
 それはだから、あの、日本であまり認知されていない音楽を。

曽和
 べつにNPOでなくても、おたくが代表でそういう会を作って名前つけて活動されてもそれは全然問題ないことなのに、わざわざNPO法人を立ち上げてっていう、そのNPO法人を立ち上げる理由ですね。

西川
 あ、NPO法人を立ち上げる理由ですね。

曽和
 そうそう。何のためのNPO立ち上げなのか、そこをちょっとお聞きできれば。

大谷
 ちょっといいですか。うちの場合は、アーティスト=NPOを形成している人間ではなくて、ダンスボックスというNPOは、ここにアーティストがいます、ここに一般の市民がいます、ここに行政がいます、ここに企業の人がいます、そういう人たちを結びつけていくものとしてのNPOなんですね。もちろん、アーティスト集団により近いNPOさんもあるんだけど、むしろダンスボックスの場合は、アート・サービス・オーガニゼーションという言い方をしているんですけれども、要するに芸術と社会を結びつけていくためにNPOというシステムがたぶん一番今の日本ではかなっているだろう、と。だから、会社、営利を目的とするものとはやっぱり性格が違うと思うんですね。だからといってボランティアではでききれるものでもない。それはそこにひとつのアートの専門家を育てていこうと。この中でいうと、ビヨンドイノセンスもダンスボックスもしているのは、日本のなかでは評価のなかで定まっていないアーティストたちを育成している。これは、ただ、世界という市場を見たときに、大阪でこれだけのアーティストがいるということがじつはフランスやアメリカでは認知されているけど、日本のなかではそれほど大きく認知されていない。でも、そういうアーティストの作品あるいはアーティストそのものが僕たちはすばらしい芸術家やと思っている。と同時に、芸術家そのものが、たとえばダンスを公演するために踊るだけではもうだめな時代に来ている。それは芸術家自身が社会に対してどういうアプローチをしていかなければならないのか、という、ただ、ここが趣味と少し分かれるかもしれないとこですね。分かれないかも知れないんですけど、自分の好きなことをやっている。自分勝手にやっている。そこでいくら優れた芸術を作っていても、そこに社会的な意識があるかないか、ということが、ひとつプロっていう見方かなと思うんですね。例えば、ここから趣味でここから先がプロかってこと、非常に本当に難しい判断で。例えば、ダンスボックスに誰でも参加できるプログラム、ダンス・サーカスというのがあるんですけど、これわずか12分の作品で審査はしないんですね。これ全国からいろんな人が集まってきます。ただ、その面接をして聞く一点があるんです、あなたはプロとして生涯をかけてこの活動をやっていく覚悟がありますか。下手でも何でもいいんです、ただ、命をかけて、非常に抽象的な言い方なんですけど、そういうことを問い詰めます。だからこそ、彼、彼女が作った作品に対して、僕らは後でそれはどうだって意見を言います。そのキャッチボールをすることで、そのひとりのアーティストが育っていく。だから、そういういろんな、多様な角度をもちながら活動していくっていうことにおいて、NPOという組織形態はたぶんいま日本で選ぶとしたらベストなんではないかって思ってNPO化しています。

曽和
 それはNPOでなかったらそういう活動はできないですかね。その冠がなかったら。そこがね微妙なとこでね、NPO自体が最近できたものでしょ、その目的が、NPOとして立ち上げんとそういうことができんかっていうとそういうことでもなくて。

大谷
 もちろん、そうです、だからそれを……。

曽和
 新世界でも、ヨーロッパのジャズを自分が趣味から入って、澤野工房さん。あの方なんかは趣味から入ってんですね。履物屋の坊ちゃんで音楽が好きでジャズが好きでーっていう趣味からぐーっと入っていって、わざわざ向こうへ行って向こうのプレイヤーを探して、これはいいっちゅうやつをレコーディングして自分でこつこつこつこつやっていまの状況になっている。個人で始めて、いまや会社を立ち上げてやってはります。別にNPOでなくてもできる活動はあるんです。こんなところを借りてるから突然出て行け言われて困ってしまったというだけのことで。それだったらNPOでない方がやりやすかったんじゃないかなと。
NPOといっても、いろんなNPOありますね。ややこしいNPO、何?っていうNPO。NPO立ち上げたら、どこからかお金が来るとか援助があるとか、そういった予算の枠で何かができるとかいうことを目的にしてNPO立ち上げてやってらっしゃるんやったら、ちょっと甘いですよね。これが本来の活動目的としたら、それはちょっと間違ってます。と、僕は思ってしまうんですよ。だから、何でばたばたしてはるのかなあと。

大谷
 あの、それは非常によくわかる話で、もともと僕らも任意の団体で実行委員会のかたちでやってましたから、お金が欲しいからNPO化したわけでは決してないんですね。ただ、NPOというものと任意の団体というものとの社会的な認知が違うという現実はあると思うんですね。それはお金が欲しいからやなくて、ひとつの社会的認知があると考えたんです。例えば、アメリカみたいなNPOという活動が非常に盛んな国もあって。そういうことをいろいろ考えてNPO化したんですが、そこに日本の芸術文化ということを担っていってる覚悟があるんですね。またもう一方で、ヨーロッパ型の国や州政府や市がすごく芸術家や劇場、美術館を支援するような形態があって、だいたい国家予算の1パーセントぐらいが芸術文化、文化に関する予算があって。日本の場合はご存知かと思うんですが、0.1パーセントしかない国。それだからこそ、基本的に僕たちがやっているひとつの芸術活動に対する自信と覚悟があるんですね。

曽和
 あのね、僕が言ってるのは皆さんの活動がどうのこうの言ってるんじゃないんです。今からね、こういうことをどんどん発信していくといういうのは、僕はもう大賛成なんですよ。実際、(Breaker Projectの)伊達さんとかじんじんさんの活動に僕もちょっと行かせてもらったりしたことがあります。最初は、何やろなっていうことから、だんだん理解ができるようになて、写真も撮ったりしてるうちに、あーそうかーってわかってくるんですね、あーこういうことも芸術としてあるんだっていうことが。それが徐々にでも広がっていけば、僕はまことにいい活動やと思っています。だから、活動に対して僕は何も言ってないんですよ。ただ、NPOでここでやってる、それが打ち切られるからどうなるの?ていう議論をやる必要はないんじゃないですか? ここがだめなら、このそばの場所を探してでもですね、この地域に根付いたんだから、相変わらず新世界とつながって続けていったらええじゃないかぐらいの大きな気持ちでいけばいいんじゃないかと思うんです。

甲斐
 よくわかります。それはそのとおりなんです。
 けれど逆にこの機会を使って、大阪市さんとの会話を皆さんのほうに持ち込めたのもまた事実なんですね。NPOだからこそ、こういうふうに皆さんのところに開くことができる。それが一企業だったりとか、一任意団体だとしたら、なかなかそれはこういうふうに広げれないんですね。こういう機会に持ち込んでいきたいというのが、またひとつのNPOの役割だと思います。
 すみません、この質問は、2部で地域の方と話す中で続けていければと思います。ごめんなさい、だいぶ時間が予定より過ぎてしまったので。すみません、後ろの方で手を上げていただいている方がおられましたが、最後の方でもう一回質疑応答の時間とりますので、その時にまた手を挙げていただければと思います。休憩はしっかり15分とります。休憩のとき、BRIDGEのみなさん入ってもらえるんでしたっけ。はい、では、15分の休憩の間、演奏でお楽しみください。
 

第二部

甲斐
 2部は大人数で楽しそうな感じで始めたいと思います。まず、ご紹介から入っていきたいと思います。まずこちら(会場から舞台に向かって左)からremoの雨森と申します。新世界町会連合会会長、半田屋酒店の半田さんです。新世界町会連合会副会長、近藤さん。浪速区小売市場連合会会長、坂田さんです。ニコニコプロフォト、曽和さんです。南陽通商店街、通称ジャンジャン町振興組合副会長、大西たばこ店の大西さんです。よろしくお願いします。
 二部はふたつに別れています。ひとつは、各NPOがこの界隈でやってきた動きをご紹介させていただきます。そして地元の方々に「あ、こんなんそういえば見た見た」ていうのを思い出していただけたらと思います。で、もうひとつのほうで、第二回シンポジウムのときに新世界アーツパーク未来計画実行委員会で考えた、「フェスティバルゲートをこういうふうに再生するのはどうや」ていうプランを、町内会のみなさまにまだちゃんと見ていただいてないので、それを見ていただきたいと思います。
 ではひとつめ・・。うしろのスクリーンを見ていただきながらお話をすすめていきたいと思います。新世界アーツパーク事業が、新世界界隈でどのような動きをしてきたのか。まず最初に假奈代さんのところ、cocoroomですね。

上田
 この写真は、「大阪ジプシー」という催し物をやったときのものです。本編はフラメンコと朗読の舞台作品でした。それの路上篇は「新世界を歩きましょう」という企画なんです。この、ゴミ箱を犬のように連れている人は、じつは美術館のゲートのところで野宿生活を送っている橘さんです。私が朗読を薦めたら、朗読が大好きになって、いまココルームが受け皿になって、橘さんの朗読仕事を支援しています。
これは玉出の滝。黒いダウンジャケットの男性が、大阪が大好きで、サラリーマンをやめて、大阪案内事業を始めた小田切さんで、ツアーの案内役をやっていただきました。
ここも通天閣がよく見える場所です。この催し物はたくさん参加者がいらっしゃるんですが、ちょうど東京からたくさん詩人がやってきていて。その翌日にこの新世界ツアーにご案内しました。ツアーの最後には、環状線を渡って西成区に入りまして、識字学級「もじろうかい」という会を訪ね、交流をしました。
「本日」と書いてあります。これは、年末に西成の三角公園で、日雇い労働者の方がお仕事がなく食べる物がないので、炊き出しなどがおこなわれる「越冬」という催事があるんですけれども、わたしはこの催しに自らかかわることができなかったので、勝手に「ひとり越冬」をしようと思って、西成区の自転車屋さんを二店舗借りてライブをおこないました。これがライブの風景です。これは自転車屋さんの支店でして、さきほど橘さんが当時お勤めだった自転車屋さんです。
あ、このお店はなくなってしまいましたね。
昨年はじめ、cocoroomで写真展をおこなったんですが、そのときのロケの写真です。これもそうです。すっぽんおばちゃんに話かけられました。以上です。

甲斐
 続きまして、remoの内部に事務局を置いている大阪現代芸術祭芸術まちづくり事業、ブレーカー・プロジェクトです。

雨森
ブレーカー・プロジェクトというのは、美術館とかギャラリーで作品を展示して鑑賞してもらうというような従来の方法でなく、参加型のアートプロジェクトとして、既存の美術システムにはおさまりきらない独自の表現手段で活動を行う4名の美術作家とともに新世界を拠点におこなったものです。
その中から、得に新世界と関わったものをご紹介したいと思います。
 ひとつめは2003年に恵美小学校でおこなった「かえっこ」というプログラムで、2回目のシンポジウムのゲストでも来ていただいた藤浩志さんが提案する「お金を使わない遊びのお店」、子どもがいらなくなったおもちゃを交換するというものです。これは、子どもとおとながいっしょになってこういう場を作っていくというしくみで、子どもの遊び場を様々な場に獲得するために考えられたプログラムです。
子ども向けのパブリックスペースとして、去年の夏休みにはフェスティバルゲート4階のremoでは「ヌイグルミシアター」を二週間ほどオープンし、アニメ—ションの上映や様々なワークショップをおこないました。
阪堺電車の恵美須町駅と車両一台を塗るというプロジェクトも行いました。フランス人のアーティスト、フランク・ブラジガンドを招聘しておこなったものです。
次は新世界のみなさんにとてもお世話になりました、「ウクレレと歌留多で語る新世界」です。ここでは、「建築物ウクレレ化保存計画」と言って、ふだんは取り壊される建物の廃材からウクレレを制作する作家、伊達伸明さんと一緒に新世界の現存する建物をリサーチするというフィールドワークからスタートしました。半年ほどかけて約60軒ほど取材したんですが、そのなかで建物の歴史ですとか、お店の由来ですとか、いろんな思い出を聞きながら、特徴的なところを写真にとってウクレレ型に切り取ってカードにしたというものです。インタビュー内容からコメントの一部が読札となり、最終的に60組の新世界ウクレレ歌留多が完成しました。私自身も伊達さんといっしょに取材に同行してまわりましたが、わけの分からない私たちを子快く受け入れて下さって1時間以上も話して下さったり、家の中まで見せていただいたり、外からみているだけでは知ることはなかったであろう味わい深い新世界に触れることが出来ました。
今回のシンポジウムに来ていただいているゲストの皆様の歌留多もあります。
坂田さんのお店「塩乾サカタ」や「大西たばこ店」の歌留多。
「半田屋酒店」さんは、今は倉庫になっているところなんですけれども、そこの流しのタイルがとても素敵だったので、そこを使っています。
このプロジェクトで最初の取材をお願いする時に、伊達さんが普段されている仕事から説明して今回の企画内容を説明をするんですけれども、地上げ屋さんと間違われたり、なかなか理解してもらえないということもあったんですけれども、みなさん分からないながらも快くお話しをしてくださいました。
 近藤さんのお店「麻雀ニュー三共」もあります。
 今日も会場に来ていただいていますが、二回目のシンポジウムも来ていただいている小林さんのお店「ゲームセンターかすが」も。
「喫茶タマイチ」の歌留多もありますが、タマイチの東田さんにも大変お世話になってます。
 また「ニコニコプロフォト」、曽和さんのお店の歌留多もあります。
 また、取材中にたまたまなんですけれども、取り壊し物件に出会いまして、近藤さんに協力いただいて、新世界厚生会館や通天閣下の歌謡劇場のウクレレを実際に作りました。伊達さんはこれまで30台ほどのウクレレを作っているんですが、いちばん派手なウクレレになっています。
 次の年には、実際に取材をさせていただいた新世界の町をみなさんにもご紹介しようということで新世界をツアーするという「新世界ウクレレ遊覧」を企画しました。参加者20名ほどで、新世界の町を実際に散策、坂田さんのお店や、曽和さんの写真館ではお話をお聞きしたり、戦前からある古い映画館、公楽劇場や、国際劇場の前を通って、新世界の路地を抜けて、写真を撮ったり、買い物したり。普段はあまり紹介されていないような、新世界の味わい深い表情を堪能しました。
 次は「野点」、きむらとしろうじんじんという陶芸家による移動式カフェ・旅回わりのお茶会です。2004年3月と2005年3月に、新世界周辺の各所で全11回おこないました。
通天閣の下ですとか、ゲ−トボール場とか、市場と本通りが交わっているところですとか、地元の皆様のご協力をいただいて開催しています。
警察の許可をもらいに行く時にも、連合会の半田さん、近藤さんにいっしょに行っていただいたり、今年は市場の空いている店鋪をリアカーの保管庫にお借りしたりと、いろんな場面で新世界の皆様には本当にお世話になりました。1年目よりも2年目の方が地元の方の参加や応援してくださる方も増えましたし、ちらしをお店に置いていただいたり、貼っていただいたり、ウクレレや野点では得に新世界に関わって継続的にプロジェクトを行っていくことで地元の方々との関係を少しずつ築いていけたのではないかと実感してます。

大谷
 これは「コンテンポラリーダンスin新世界」という、わたしたちがこの町に来た次の年から始めた、町のなかでダンスを踊るというものです。
これはスパワールド階段下で、今年は階段下だけだったのですが、去年は新世界の本通りでもやらせていただきました。そのときに警察の許可をとるときに、近藤さんにはすごくご協力いただきました。だんだん警察も、「なんやわからんもん」から「なんやちょっとだけわかるもん」に変わってきたなというのが、この3年やってきた現象かなと思っています。
 これは一年目の、いろんな4つの場所をまわりました。フェスティバルゲート、スパワールドの階段下、市立美術館前、そして通天閣の下の王将碑の前で、エメスズキさんという人が踊ったときの写真です。
これは「dbフリークス」という、二ヶ月に一回ダンスボックスの劇場でおこなわれている催し物をご案内しているちらしです。新世界の風景とそこで二ヶ月のあいだに何かを発表するアーティストと写真家がコラボレーションするというかたちで、毎回表紙を新世界の町で写真にとっています。
 いちばんはじめの写真は、右から二人目、三人目は、この8月の末にダンスボックスで公演する、「La Manga」というメキシコから来たアーティストです。右側の人は「先生」と呼ばれている人、右から4人目は橘さんという詩人で、いわゆる野宿生活をされている方です。「La Manga」という二人はメキシコだけじゃなくて、ニューヨークやいろんなところで、障害のある人、野宿生活をしている人、刑務所等々、社会の中からあぶりだされてしまった人たちの話を聞くなかで自分たちの作品を作っていくというアーティストです。彼女たちは今、京都芸術センターにレジデントしているんですが、京都にはひとりもホームレスがいない、でも大阪にきたらたくさんいる、それはすごく大切なことだ、と言っています。これ僕はすごくいい写真だなと思うんですけれども、こんなにあっけらかんとした明るい、青空のようないい笑顔がみんなできるんだということを感動しました。こういうかたちでも地域ともかかわっています。
 次、これは公楽劇場ですね。
 これは、「パーク温泉」です。
 あとダンスボックスに関しては、コンテンポラリーダンス・ツアー・イン新世界という、さきほど申しましたけれども、新世界の町も知って欲しいしダンスも知ってほしいということでやったプロジェクトのビデオです。二分程あります。
 これはNHKが撮ってくれたビデオなんですけれども。
 これが出発点であるフェスティバルゲートのところ。このときはツアー参加者が80人ほどいまして、いろんなところからいろんな人が見に来てくれました。「変なダンスだけど気持ち悪くないですか」と聞かれて、「とっても幸せです」って彼は答えています(会場笑)。
どういうわけか、「コンテンポラリーダンス・ツアー」あるいは「in 新世界」は天候にたたられまして、一年目は大雨、二年目は大雪の日だったんですね。このときは観客の人もツアー客の人たちも自分たちも踊りながらツアーをするという。大学の先生とかも入ってますけれども。
「これもコンテンポラリーダンスですか」ってアナウンサーが聞いてるところです。で、まあ「そうでしょう」と。わからないですけれども。なんでもいいんです。すごく大雨だったんですけど、ずっとジャンジャン町とか美術館とか通天閣をまわって、非常におもしろい地域だというのがわかってもらえたというのが、僕らにとっても嬉しいことでした。
 これはスパワールドの前だというので、バスローブで踊っているところです。「クルスタシア」というグループですけれども、今はカナダとかフランスと海外で活躍しているアーティストが、新世界でも踊っているという。
 これはアナウンサーが「どうでしたか」と聞いて「うーん、大変な雨で水が滴って衣装が重くなって大変だった」というようなことをしゃべっています。
 これは「コンテンポラリーダンスと新世界の町ってどうですか」と聞かれて、僕が「非常になじんだと思います」みたいことをしゃべっているところです。
 3年間やっていますが、年々お客さんが増えてきていて、地域の人以外の人たちだけではなくて、地域の人たちもこれを楽しみにしてくれつつあるかな、と思っています。今後は、地域がやっている催し、たとえば区のフェスティバルとか、僕らがお邪魔してお手伝いできることはないだろうか、と思っています。



 
 左から座席順に雨森、甲斐、大谷、上田大西さん、半田さん、近藤さん、坂田さん、曽和さん
 
甲斐
 ざっとこの3年弱を、大急ぎでダイジェストで見ていただいたんですけれども、ご覧になられた風景も過去におありだったかと思うのですが、何か思われたことなどありましたらコメントいただけたらと思うのですが。

半田
 正直言うて、いまの映像見せていただいて、びっくりしました。ここまで地域の人をね、くるんでいいただいて、いろいろと考えてやっていただいてるんだなあと、先程から見とって感心しとったんですけれどもね。……以上ですなあ。(会場笑)

近藤
 さきほどご紹介いただいた近藤と申します。僕は、関わっているというよりか、いろんなことで大谷さんや雨森さんからいろいろ相談受けてました。新世界のトップは半田さんですんで、あまりでしゃばったことはできないんで、いろいろ橋渡しをして。ブレーカーなんかでも、新しくつぶす店あったら、あそこありますよーて言うたり、そういう役目をしとったんですけれどもね。新世界の人はいい人多いんで、雨森さん行かれても結構協力していただけたと思うんですよ。ですけどもまあ、さっきの野点なんかのことで警察に一緒にお願いに行くとね、堅い係長がおりましてね。全然言うこと聞いてくれなくて、なんで道でこんなことをする必要があるんやと、まあそういうことを言いますんでね。今回係長代わってますんで(会場笑)、これからまた変わっていくと思いますけども。
 まあそんなんで、地元としては一生懸命、僕はこういうのも見せてもらったし、実はダンスボックスさんに行かせてもらって、新世界生まれの新世界育ちですんで、ここにこういうのありましたよとか、新世界のことをみなさんにお話したことがあったり。ほんとのこと言うて、コンテンポラリーダンス、なんのことかわからないんですけれども。わからないなりに、マイナーで、いろんなところで浸透していろんなファンがいるんだなあということは十分理解できますんで、これからもがんばっていただきたいと思っています。

甲斐
ありがとうございます。

坂田
 どうも。あの、この場所でこういうことがおこなわれていることを全く知らなかったわけですね。前回、二回目にちょっと後半参加させていただいて、皆さんがたの熱気にあおられて、地元の人間として、これだけ皆さんががんばっておられるのに、何か応援することができないかとちらっとよぎりまして。この場所は新世界の町会連合会と、もともとここは車庫の跡地だったんですね、長いあいだ野原で置いてあった、我々としては何もないよりも、ここへ何かを作って欲しいと再三大阪市と交渉した結果、現在のこういう建物ができたと。4つのNPO法人の方がこんなに頑張ってはるのに、何かしらひとつも応援できてないんじゃないかと、こういうふうに考えましてね。ここで文化の発信をしていただいているということで、われわれ地元としても何か応援する方法はないんかなと、わたしは考えております。

曽和
 私さきほど芸術がどうのこうのと難しい話をしたんですけども、実際、日頃写真も写してます。作品も作ってます。またバンドもやって活動もしてます。そのたてまえで、ちょっとこう、芸術がどうのこうのって生意気なことを、ちょっとしゃべらせてもらったんですけども。まあ、この4団体の方のやっていることちゅうのは、なかなか理解できない(笑)。で、2回、じんじんさんと伊達さんのウクレレもおつきあいさせてもらったんですけども。最初突然来られたときには、なにがなんかわからんね。意味がわからん(笑)。まず「それはなに?」から始まってくるわけですね。で、ずうっと関わってくる最後ぐらいに、「いやー、そういうこともあるか」というかたちで、なんとか理解(会場笑)、自分の中で納得できるぐらいの。いわゆる僕らの理解をこえてるくらいの芸術性がある。これはすばらしいんですよね。それがほんとの、僕は芸術やと思います。範囲内でやってる芸術なんかはね、芸術じゃないんですよね。未来に向けた芸術いうのは、いま現在僕らが、僕らの頭の中で理解できてるもんの上やないと、いかんと思います。今この4団体の方がやってられること、すべて理解しにくい。その点でですね、すごいことやと思います。あと十年、二十年後には、これが普通のことになってくると思いますよね。だから地道な活動が大事。先程、もう二年、三年前から(新世界アーツパーク事業を)やっておられるということをお聞きしたんですけども、他の団体の方の活動は、僕実際見さしてもらってないし、今日初めてお会いした方もあります。だから地域密着であって、その、地域の方がそれに参加してるかというと、地域の方が──まあ、新世界ですけども──、じかに参加してどうのこうのっていうのは、ないんですよね。新世界の中の人で、わかってて参加されて、それがだんだん増えてるかというと、そうではない。まあ、踊りのことでもなんでも。これはもう、最初からはそれは無理なんです。今日みたいなこういう活動は、ゆっくりやっていけばお互い理解もできる。さっきもちょっと話してたんですよ。そうやってちょっとは理解したから、彼らはこういう問題に直面してるんやから、自分らでできることは何かなぁということも、話が始まってるわけですよね。なら、じわじわと、そういう活動を続けてほしい。例えば、ここでの活動ができなかっても、いまの4団体と新世界の関係が切れるわけやないから、それはじっくり新世界という場所を利用していただいて、活動は続けていただきたい。それだけですね。よろしくお願いします。がんばってください。(拍手)

甲斐
 ありがとうございます。大西さん、コメントいただけますでしょうか。

大西
 あんまり文化的なこと言われると難しすぎてわからないんですけども、あの、新世界、まあ僕自身が感じている新世界なんですけど、まあとにかく変わったとこですわ(会場笑)。前におられるこの5人もたぶん変わってると思うんですけども、もひとつその上をいく、もひとつ変わった人たちがなんかこう入ってきてね。僕もあのー、曽和さんと一緒で、この人たちと一番はじめ会うたときは、変なやつ来たなと(会場笑)。これ、前の会合でも、僕、それ言うたことあるんですけども、変わったやつ来たな言うてる自分も変わってるんやという風に、だんだん思えるようになってきたんです(笑)。というのは、新世界自体がそういう町、ていうかね、そういう風土を持ってるっていうか。よう考えてみますと、あの、大阪の中にあって、大阪らしい、昔からね。今現在ね、もうキタやミナミというてもね、東京の繁華街とほぼ一緒ですわね。ただこの新世界は、まあ言うたら、島国みたいなもんですよね。要するに、大阪の中にあって島国みたいな。区画見てもろたらわかりますよ。ほんまに、区画された島みたいな感じのとこなんですね。そういうところに住んでる風土もさることながら、集まってくる人間がやっぱり変わった人間が多いんですね。ほいで、そういう人間は、どない言うか、何でもありなんですよ、言うたら。私も好き勝手なこと、こっちも好き勝手なこと、あの人も好き勝手なことやってる。いろんな人が集まってくるような、ちょっとした風土がある。そういう風土があるもんやから、たとえば、前ね、北海道の若い子が訪ねてきましてね、その人とちょっと話したんですけども、ひどくカルチャーショックを受けたっていう、そういう人なんですね。何を言うてるのかようわからんですけどね。要するに、僕らまあ住民ですから、もともと住んでますからそんなこと全然わからないんですけども、その人に聞いてみますと、なぜカルチャーショック受けたかいうと、もうとにかくこの町は、ほかの町にないものを持ってると。たとえばジャンジャン町でいいますと、ふつうの商店街でしたら、たとえば肉屋さんとか果物屋さんとか想像しますね、商店街というのは。そう想像するんですけども、麻雀屋が3件か、それから将棋屋さんが2件ですわ。そこで将棋うってる人もいるんですけども、道路側の窓からですね、窓からのぞいてですね、あの手はあかんとか、この手はあかんとか(会場笑)という風な会話を、また、その会話を後ろから聞いて喜んでる人もいるんですわ。そういうところを見てね、非常にカルチャーショックを受けたというような町が、要するに新世界なんです。だから、今、ここにおられる団体の方々がやっておられること、これ非常にいいんじゃないかというふうに思います。さっき(第一部の)NPOの若い人がね、ちゃんとできない人ってなんか言うてましたね、ちゃんとできなくてええんですよ。そんなんでも受けいれる町が新世界だという風に思います。(拍手)

半田
 外国人の方がね、新世界に来るんですわ。その人らとちょっとお話をする機会があってね、いろいろちょっとお話をしたらね、ずっといろいろ日本をあちこちまわっておられるんですな。ところがやね、この町に来てね、強烈な印象を受けたと言うんですわ。ほでね、おそらくね、帰ってもこの新世界という場所をね、見た強烈な印象が、その人たちも帰っても残ってると思うんですね。それだけにね、この新世界いうところはね、さきほどからいろいろ話がありましたけども、まあ私たちは、飾らない庶民的な町ということで、ここでもう私たちはここで生活していてかえってピンぼけみたいになってるとこがあるけどね、外部から見たらね、やはり非常に印象を持たれるんですね。以上です。

甲斐
 逆に国際性があるわけですよね。

大西
 新世界を英語でいうたらニューワールド。それだけ言いたかったんです。(会場笑、拍手)

近藤
 あの、ちょっと話がね、だいぶずれたと思うんですね(一同笑)。僕ね、まあ大谷さんとかいろんな方とお話させてさせてもらって、さきほどの、なんで新世界が、っていう話をされてましたけどね、これ、ここの図で、僕、ああこれ大谷さんの言うとおりやと思ったんは、まあ動物園があったり美術館があったり、もちろんフェスティバルゲートがあったり通天閣があったり、ジャンジャン町があったり。まあ、これ「町」と変えといてくださいね、「横丁」と書いてるやつを(笑)。

大西
 「横丁」でもええんぞ。(会場笑)

近藤
 いやー、あんなもん、メインストリートやのに、なんで横丁やの(会場笑)。はい、あの、まあそんなんでね(笑)、あのーそういうことで、新世界にぜひとも、先程言うてはったように、新世界から場所が変わっても新世界から切れないという、そんな話もしてましたけど、まあ、大谷さんのお話で、新世界にあるべきなんだ、というお話をあとで聞かせていただいたんで、それはいろいろ半田さんとも言うてたんですけども、いろんなかたちで協力させてもらうということで、まあ地元はそういう形で固まれると思いますので、よろしくお願いします。

甲斐
 ありがとうございます。はい。で、えーと、このまま終わろかなと思うぐらい(一同笑)。予定ではね、その、僕らいま大阪市さんのほうから、8月末までにここを出る、出えへんということを考えてほしいということをいわれてる途中なんですね。で、理由というのはいくつかあって、ここが交通局の持ち物ということ。先程の、大っきい大家さんと小っちゃい大家さんの、いろいろ問題があるんですけれども。じゃここが、オリックスが新聞で報道されたように撤退したとなって、予定では平成19年の7月には、もうここは閉鎖する可能性すらあるっていうのが、漏れ聞こえてきてると。これ閉めるのは、また、そんなあほな話はないやろと思ったりもする側面もあって、そしたら僕らの方で、このフェスティバルゲート全体をどういうふうに再生すればよいのかというプランを考えたんですね。まあそのプランは、絵に描いた餅というか、実現可能性のある絵に描いた餅なんですけども、そんなのをNPOの方で考えたので、一度見ていただけたらなあと。引き続き、この場でやらねばなあ、と思います。2回目のときに一度プレゼンテーションというかたちで見ていただいてる方もおられると思いますので、おいおい2回目やんけというのもあるかもしれないんですけども、どうかご勘弁ください。で、本来ゆっくりやっていくもんでもあるんですが、2回目に引き続き、めっちゃスピードでいきます(会場笑)。時間ないので大急ぎ、です。では行きます。

—プレゼンテーション—
##「創造都市シミュレーション」の内容は、下記よりダウンロードしていただけます##

newworld_hills.ppt.zip(Power Point書類をZIP形式で圧縮。約7.5MB)

—プレゼンテーション終了—

で、ここで可能性です。要するにこういうことなんですね。ビジネスとかコミュニティとかアートとか、そういうものがこういうふうに混ざった場所がここにあれば、さまざまな流通、交流が生まれて、地域の人もアートと関与しながら、パブリックのサービスも受けながらっていうこともできるし、逆に外から来た人も、コミュニティの方に近づいていけるというか。そういう交流ができるモール、みたいなものってあってもいいんじゃないかなあ、というのが、僕たちがつくったプランです。で、むちゃくちゃな話、僕たちはこれをもとに市長の表敬訪問っていうのをしたいと思って、いまお願いを正規ルートでしているところです。まだ最終のご返答をいただけてないのかな?とにかくそういう方向で進めていきたいと思っています。
 で、すいません。これは一応これで終わりなんですけれども、いかがですか?(一同笑)こんなんあったらええなあ、という僕らなりのプランなんですけども。

半田
 今回は三回目のシンポジウムということですが、私は一、二回目ともゲストトーカーとしてお誘いを受けておりましたが、他の会合と重なり欠席しました。今日初めて寄せていただきましたが、先程一回目の時のお話を伺い、佐々木先生、大谷さんのお話を聞いて、まあ確かにと思ってるわけで、我々新世界町会の人たちは、この芸術的な事にはまったく無知なので、今私は恥ずかしい思いでおります。
 この場所は、新世界の活性化のためには、ここをどうしても活かさないとだめだと思っているわけで、この場所は先程も話があったように、交通アクセスも非常にええとこやし、企画さえよければ絶対に人が来ると思っています。いままで全体的な話からっすると、これはやっぱりオール大阪市として取り上げていただかないかんなと、感じを持っているわけですし、地域住民の我々としても、これはバックアップしていかないかんと思ってます。まあ、時と場合によったら署名運動までしてもバックアップしていかないかんという気になっとるわけです。それには地元新世界町会連合会の役員会の承認を得なければなりませんが、未来の文化創造都市を考えると、ここを大阪の拠点として、将来のシンクタンクとして出発していただきたいと思っております。以上です。(拍手)

甲斐
 ありがとうございます。

近藤
 まあ、あの、連合会の代表がこういうふうな発言をされたんで、まあ今後は、大船に乗ったつもりでがんばってください。(会場笑)

雨森
 きのう澤野工房の澤野さんに偶然お会いして、ちょっとお話ししてると、澤野さんもフェスティバルゲートでライブを、年に二回ぐらいやりたいなあというふうにおっしゃってて。そういったホールがここにあったらいいのかなあ、というようにも思っています。あと、大西さんもされてる夏のふれあいコンサートというのも、二階の広場のところで、今年で4回めで、8月の終わり頃、8月の20日土曜日に3時から開催されます。というようなことで、ここに地域の方も使えるような、そういったホールですとかスペースが、開かれた場としてできていくともうちょっと、活性するというか利用されるのかなというふうに思います。あの、他に、ここにこうスペースがあったらいいのというのがあったらば、そういうのもぜひ盛り込んでいけたらいいな、と思ってるんですけど。

甲斐
 今後とも、意見を聞かせて頂けるような機会を、またいただければと思います。で、他にコメントある? ない? えと、要するにこういうプランを立てるということは、さきほどの大っきい大家さんと小っちゃい大家さんと店子、僕ら一番下といううことを考えたら、小っちゃい大家さん飛び越えてこんなことを言ってしまってる、いう事実もあるんですね。おいおいちょっと待てという動きというか感覚もあるわけで。小っちゃい大家さんを飛び越すなよという話もやっぱりあるんですけども、ここはいっぺん飛び越さないと伝わらないというので、僕らわざわざ、やってみよういうてやってるところです。
 あとまた、地域の人々と、こういう場所で特別な機会を持って会っていくということは、僕らは僕らで地域の人たちの思いを引き受けていくということは、気持ちのなかにぐーんと、なんていうんやろな、根付いていく感覚を、僕なんかは持っているんですけども。時間かけて焦らずに、ほんとはやっていきたいと思っています。
 なんかありますか、コメント? 大丈夫? じゃ、これで2部を終わらせていただくかたちで、このまま質疑応答がありましたらご返答させていただきたいと思います。ちょっと時間押してますので、ちょっと短めになるかもしれませんけども、ありましたらお手をお挙げください。お願いします。ほう、ない? すごい。なんか、みんな、疑問点なし? 気持ちがいい状態(一同笑)。
 じゃ、このまま気持ちのいいまま終わりましょうか。はい。で、ごめんなさい。えと、このまま僕たちは、1回め、2回目とご説明させていただいてる、さきほどちょろっとお伝えしたように、8月末に、ここを出ていくのか出ていかへんのかということを返事をしなさい、といわれている立場です。ですから、ここから、こうやって開く形で場を持つということを、いったんここでとどめて、事務的な話を担当部局さんとしていきます。で、またそれがどうなっていくのかを踏まえて、ちょっと時期が決まってないし、それがどういった報告になるのか、わからないですけども、ご報告させていただく機会をつくりたいなあ、とは思っています。簡単にいうと、乞うご期待というか、どうなるものやら、お楽しみです。ひきつづきご関心を向けていただけますと、うれしいかぎりです。今日はどうもありがとうございました。(拍手)

大阪市の芸術拠点事業「新世界アーツパーク事業」に参画する我々4NPOは、事業開始から丸三年を迎えますが、これまでの活動を自ら検証するため、連続シンポジウムを開催してまいりました。
 そのきっかけとなったのは、今年5月に担当部署である大阪市ゆとりとみどり振興局文化集客部文化振興課から、「フェスティバルゲートの運営に関する先行きが不安定な情勢で、この場での事業継続の可能性を探るとともに、新たな場所での事業展開を考えたい」との投げかけを受けたことです。これを受けシンポジウムと平行し、我々は話し合いや移転先候補物件の見学などを行い、現段階で考えうる選択肢を検討してきました。その結果、移転はせずこのフェスティバルゲートで事業を継続したい、という旨を、8月25日に文化振興課に伝えました。新聞などでも発表されているとおり、このフェスティバルゲート自体は2007年7月に閉鎖の可能性が高まっており、決して安定的とはいえない状況の中での事業継続となることを覚悟してのことです。
 しかし我々は一連のシンポジウムの中で、この場所のポテンシャル、また地元・新世界で生活していらっしゃる方々との繋がり、さらには我々の行う芸術活動が都市機能向上の一助となれることなどを再確認しました。そこで、我々がこのフェスティバルゲートで2007年7月以降も活動を続けられる方策を探ると同時に、周辺地域の活性化をも含む、フェスティバルゲートの新しい道を探っていきたいと考えました。今後もシンポジウムはもちろん、話し合いの場やアイデアを持ち寄る機会などを継続して設け、さまざまな可能性を模索していく所存です。
 なにとぞ引き続きこの「新世界アーツパーク未来計画」の活動をご支援くださいますよう、心よりお願い申し上げます。

新世界アーツパーク未来計画実行委員会
NPO記録と表現とメディアのための組織
NPOこえとことばとこころの部屋
NPOダンスボックス
NPOビヨンドイノセンス