アー
トNPOで
ありながら、
喫茶店のフリをして、
365日
であいと表現の場をつくり、問いを重ねています。
「表現と社会と仕事と自律」とは何か、その関わりと深遠さは、台本のない「日々人生劇場」となって表れ、
誰もが誰かの生きること死ぬことにたちあっています。
シリアスかというとそんなこともなく、役者が多くて、よく笑っています。深呼吸して、ほがらかに。
アー
トNPOで
ありながら、
喫茶店のフリをして、
365日
であいと表現の場をつくり、問いを重ねています。「表現と社会と仕事と自律」とは何か、その関わりと深遠さは、台本のない「日々人生劇場」となって表れ、誰もが誰かの生きること死ぬことにたちあっています。
シリアスかというとそんなこともなく、役者が多くて、よく笑っています。深呼吸して、ほがらかに。
であいと表現の場をつくり、問いを重ねています。「表現と社会と仕事と自律」とは何か、その関わりと深遠さは、台本のない「日々人生劇場」となって表れ、誰もが誰かの生きること死ぬことにたちあっています。
シリアスかというとそんなこともなく、役者が多くて、よく笑っています。深呼吸して、ほがらかに。
沿革
代表理事:
上田假奈代
(詩人)
1969年吉野生まれ
沿革
代表理事:
上田假奈代
(詩人)
1969年吉野生まれ
ココルー
ムとは何者か
地域に根ざしながら、さまざまな人々とであい、表現の場をつくるココルーム。
暮らし、仕事、関係性のなかで、正直に生きることをお互いに大切に、そして社会と接続する仕事場として活動しています。喫茶店やゲストハウスのふりをしているのは、であいがたくさん生まれるように、と願うからです。
設立者は、詩人の上田假奈代。
現場のスタッフは常に入れ替わりつづけ、2003年当時から関わっているのは、現在も代表である上田と、数名の理事です。
現場のスタッフは多いときで8名ほど、インターンやボランティアは、もう数えられないほど。
わたしたちに特別な専門性はなく、料理をしたり、庭の木の葉でお茶をつくったり、表現行為をしていたり、片付けや掃除をしたり、時には困り事を聞くこともあります。
名札や制服がなく、誰がスタッフかお客さんかわかりません。そのとき、できることをそれぞれしたらいいと思う、というスタンスですので、時間のあるお客さんは皿洗いや片付け、表現行為に加わったり、困り事をいっしょに聞いたり、おしゃべりなどしています。
ココルームの専門的な仕事は、企画や事業を考え実施することや、特徴をいかして他の機関と連携することです。地域の団体や大学などと連携することも多くあります。
いずれにせよ、働く、仕事というものを都市生活のなかで、決められたものとしてでなく、自分自身で考えて、他者と関わりながら、ほがらかに、この手でゆっくり創造しようとしています。
ココルー
ムとは何者か
地域に根ざしながら、さまざまな人々とであい、表現の場をつくるココルーム。
暮らし、仕事、関係性のなかで、正直に生きることをお互いに大切に、そして社会と接続する仕事場として活動しています。喫茶店やゲストハウスのふりをしているのは、であいがたくさん生まれるように、と願うからです。
設立者は、詩人の上田假奈代。
現場のスタッフは常に入れ替わりつづけ、2003年当時から関わっているのは、現在も代表である上田と、数名の理事です。
現場のスタッフは多いときで8名ほど、インターンやボランティアは、もう数えられないほど。
わたしたちに特別な専門性はなく、料理をしたり、庭の木の葉でお茶をつくったり、表現行為をしていたり、片付けや掃除をしたり、時には困り事を聞くこともあります。
名札や制服がなく、誰がスタッフかお客さんかわかりません。そのとき、できることをそれぞれしたらいいと思う、というスタンスですので、時間のあるお客さんは皿洗いや片付け、表現行為に加わったり、困り事をいっしょに聞いたり、おしゃべりなどしています。
ココルームの専門的な仕事は、企画や事業を考え実施することや、特徴をいかして他の機関と連携することです。地域の団体や大学などと連携することも多くあります。
いずれにせよ、働く、仕事というものを都市生活のなかで、決められたものとしてでなく、自分自身で考えて、他者と関わりながら、ほがらかに、この手でゆっくり創造しようとしています。
大阪・釜ヶ崎における
地続きの関係性と孤独、
そのあいだと
突き抜けてゆくもの。
表すことは生きること。
2017年アメリカのジャーナルFIELDに寄稿した上田假奈代のテキスト。
2016年シアトルのワシントン大学で開かれたシンポジウムSEAinJapanで発表した
日本語原稿を加筆修正したもの。
An article “Isolation and Neighboring Relations in Osaka’s Kamagasaki:
The Gaps and What Breaks Through Them. To Express is to Live.” by
Kanayo Ueda
わたしたちが生きるこの世界は実にいろいろなものから成りたっています。
いろいろなものがお互いに網の目につながりをもちながらこの世界をつくりあげています。
人はひとりでは生きることができません。関わりあって生きています。
他者とのつながりに気づき、呼応しようとしたときに、わたしたちは何かしらの「表現」を
試みようとします。
これから紹介するココルームの活動は、「表現」することができるようにお互いの存在を大
切にするための実践です。
お互いに学び合い、他者とのつながりの回路や接続点をゆたかにすることが、多様な価値や
多様な生とともに生きていくことにつながると考え、活動を日々試行しています。
2017年アメリカのジャーナルFIELDに寄稿した上田假奈代のテキスト。
2016年シアトルのワシントン大学で開かれたシンポジウムSEAinJapanで発表した日本語原稿を加筆修正したもの。
An article “Isolation and Neighboring Relations in Osaka’s Kamagasaki:The Gaps and What Breaks Through Them. To Express is to Live.” by Kanayo Ueda
わたしたちが生きるこの世界は実にいろいろなものから成りたっています。
いろいろなものがお互いに網の目につながりをもちながらこの世界をつくりあげています。
人はひとりでは生きることができません。関わりあって生きています。
他者とのつながりに気づき、呼応しようとしたときに、わたしたちは何かしらの「表現」を試みようとします。
これから紹介するココルームの活動は、「表現」することができるようにお互いの存在を大切にするための実践です。
お互いに学び合い、他者とのつながりの回路や接続点をゆたかにすることが、多様な価値や多様な生とともに生きていくことにつながると考え、活動を日々試行しています。
釜ヶ崎を
どうみるか、
語るか。
それはその人の
立ち位置を
表してしまいます。
地図にないまち・釜ヶ崎
大阪市西成区通称・釜ヶ崎。
江戸時代はのどかな景色が広がっていたそうだ。
都市として拡大する大阪市の境目の外側だったこの地域にも、
明治の頃に急激な人口増加がみられ、木賃宿などが増えてゆく。
当時はマッチ工場などもあり、性別関係なく多くの人が暮らすようになったそうだ。
1960年代から日雇い労働者の寄せ場となったドヤ街。男性が多くなる。
1970年に施策的に「あいりん」と名づけられた0.62平方㌖の簡易宿泊所街は、
おおむね「釜ヶ崎」と重なる。
けれど、あいりんも釜ヶ崎も地図には記されていない。
1960年代70年代の暴動。闘争。
1990年代はバブル崩壊後は野宿者、2000年代から生活保護受給者が増える。
刑務所から出所した人たち、若年層の精神障害の方の流入も増え、高齢者施設も数軒開設される。
2010年代半ばから一挙に高齢化が進み、しょっちゅう死亡の知らせを耳にする。そういえばあの人の顔を見なくなったね、と話すことになる。
男性の平均寿命が日本一低い(73歳)。この街に2万室あると聞く。
ドヤ街は交通至便な環境からインバウンド向けのホテル街へと、釜ヶ崎はつねに目まぐるしく変貌する。
釜ヶ崎を
どうみるか、
語るか。
それはその人の
立ち位置を
表してしまいます。
地図にないまち・釜ヶ崎
大阪市西成区通称・釜ヶ崎。
江戸時代はのどかな景色が広がっていたそうだ。
都市として拡大する大阪市の境目の外側だったこの地域にも、明治の頃に急激な人口増加がみられ、木賃宿などが増えてゆく。
当時はマッチ工場などもあり、性別関係なく多くの人が暮らすようになったそうだ。
1960年代から日雇い労働者の寄せ場となったドヤ街。男性が多くなる。
1970年に施策的に「あいりん」と名づけられた0.62平方㌖の簡易宿泊所街は、おおむね「釜ヶ崎」と重なる。けれど、あいりんも釜ヶ崎も地図には記されていない。
1960年代70年代の暴動。闘争。
1990年代はバブル崩壊後は野宿者、2000年代から生活保護受給者が増える。
刑務所から出所した人たち、若年層の精神障害の方の流入も増え、高齢者施設も数軒開設される。
2010年代半ばから一挙に高齢化が進み、しょっちゅう死亡の知らせを耳にする。そういえばあの人の顔を見なくなったね、と話すことになる。
男性の平均寿命が日本一低い(73歳)。この街に2万室あると聞く。
ドヤ街は交通至便な環境からインバウンド向けのホテル街へと、釜ヶ崎はつねに目まぐるしく変貌する。
●街のイメージとジェントリフィケーション
この街はいまだに、怖いから「行ってはいけない」と言われ、一方、街にアート、というだ
けで「ジェントリフィケーション(開発などで住人の階層が変化し土地代が上昇し低所
得者が住めなくなるような現象)だ」と、批判的にも捉えられる。
そして、地域の現場で働く人たちは、ことばにすることが苦手だったり、わりきれない思
いを持つため、そんなに簡単にことばにできるわけではない。
2025年に大阪万博をひかえ、高齢化し亡くなる人が多いこの街は大きく変わること
は止めることはできそうにない。なにを残し、どのように伝えていくのか、が重要だ。
●ネットワークと再チャレンジの街
街が大きく変化しているなかで、「再チャレンジ」がキーワードになっている。
またこれまでの歩みのなかで生まれたネットワークも大切な要素だ。
●参考:新今宮ワンダーランドの「歴史」
https://shin-imamiya-osaka.com/history/
●釜ヶ崎アーツ&ガイドマップ(かまっぷ) 2017年制作
はじめての人のための釜ヶ崎案内 日本語/English
企画・編集・制作:特定非営利活動法人 こえとことばとこころの部屋(ココルーム)
編集サポート:永井玲衣
制作:アンジェリカルート株式会社 天根静也
詩:谷川俊太郎 ほか
テキスト:上田假奈代 ほか
翻訳:David Takata 、とらちゃん ほか
イラスト:岡本風愉 ロゴ:山田小木海 ほか
写真:若原瑞昌、矢野大輔、斎藤陽道、松見拓也、ココルーム、釜ヶ崎芸術大学サポートチームかまぷ〜 ほか
●街のイメージとジェントリフィケーション
この街はいまだに、怖いから「行ってはいけない」と言われ、一方、街にアート、というだけで「ジェントリフィケーション(開発などで住人の階層が変化し土地代が上昇し低所得者が住めなくなるような現象)だ」と、批判的にも捉えられる。
そして、地域の現場で働く人たちは、ことばにすることが苦手だったり、わりきれない思いを持つため、そんなに簡単にことばにできるわけではない。
2025年に大阪万博をひかえ、高齢化し亡くなる人が多いこの街は大きく変わることは止めることはできそうにない。なにを残し、どのように伝えていくのか、が重要だ。
●ネットワークと再チャレンジの街
街が大きく変化しているなかで、「再チャレンジ」がキーワードになっている。
またこれまでの歩みのなかで生まれたネットワークも大切な要素だ。
●参考:新今宮ワンダーランドの「歴史」
https://shin-imamiya-osaka.com/history/
●釜ヶ崎アーツ&ガイドマップ(かまっぷ) 2017年制作
はじめての人のための釜ヶ崎案内 日本語/English
企画・編集・制作:特定非営利活動法人 こえとことばとこころの部屋(ココルーム)
編集サポート:永井玲衣
制作:アンジェリカルート株式会社 天根静也
詩:谷川俊太郎 ほか
テキスト:上田假奈代 ほか
翻訳:David Takata 、とらちゃん ほか
イラスト:岡本風愉 ロゴ:山田小木海 ほか
写真:若原瑞昌、矢野大輔、斎藤陽道、松見拓也、ココルーム、釜ヶ崎芸術大学サポートチームかまぷ〜 ほか