ライトハウスレポート 第一部 飯島秀司

声って、なんだろう。ことばって、なんだろう。あー」と小声を出してみる。お昼休みの四ツ橋通りを歩きながら。冬曇りの空の下、声はかぼそく枯れている。街路樹を見た。
ひとりごとでは届かない。届けようと真剣になった声は、きっと違う表情を見せるだろう。ひょんなことから社会福祉法人・日本ライトハウス・ジョイフルセンターでのワー クショップに参加することになり、そこでわたしは貴重な出会いを経験しました。この声とことばのワークショップは、視覚障害者たちと彼らをささえる職員とボランティア、そしてアーティストたちが、それぞれに耳をすまし、手探りでお互いに向かいあうところからはじまったものです。わたしは普段、サラリーマン稼業のかたわら、唄をうたったり、詩のリーディングなどをして、自分を表現する場を持っています。しかし、今回このよな形で文章を書くのは初めてです。わたしは声とことばのワークショップが、今体験していることを言語化し、ひとりでも多く伝えていく責任まで含んだ問題提起となるのではないか、と考えました。ライトハウスでのワークショップの体験を通して、声とことばの可能性を拓く、生きたレポートになるよう、がんばります。

●出会い

ことの発端は、昨年11月、友人ダンサーFさんの公演終了後でのこと。アフリカ太鼓で遊んでいたわたしに、「あのう」を声をかけてこられた女性が日本ライトハウス職員の井野さん。視覚障害者にボランティアの音楽指導をしてくれる人を探しているのだとか。2日後、呼びかけに応じたのは、『詩の学校』の上田假奈代、演劇人の門田剛。ボランティア経験なんてほとんどないわたしたち3人は、やや不安げな心持のまま井野さんの紹介で、ライトハウスの体育室で4人の中途失明者と出会いました。まずは自己紹介、緊張したわたしは、恥ずかしい失敗話などをしてみんなの失笑を買いました。でもなんとか打ち解けた雰囲気になったみたいで、お互いをあだ名で呼び合うことになりました。

●中途失明

紹介された4人は、全員成人後の中途失明者。事故や病気などで失明する以前は、当然普通に生活していた方ばかりです。われわれは生活上、かなりの割合を視覚に頼って暮していますが、しっかりとした自己イメージを持つ上でも視覚情報は重要で、中途失明したことで心の問題を抱えてしまう人も多いのだとか。円形に座っているわれわれの中で、一番若いユーキはよく喋ってくれますが、実はとってもシャイなんだろうなぁ。テッチャンは、しっかりとした印象ですが、今回の音楽練習に参加するかどうかギリギリまで迷ったそうです。タダッチは以前ベースを弾いていたそうで、ライトハウスにベースがないことを悔しく思っている様子。最年長のヌマサンは頭をうなだれ、自己紹介の声もほとんど聞き取れないほど。わたしは、とりあえず、課題曲の「贈ることば」をみんなで歌うため、ギターを持ちました。でも、歌詞もうろ覚えだし、4人は目が見えないし、どうやって歌ったらいいのだろう?そこで、ギターにあわせて、上田さん(以後カナチャン)が、「贈ることば」の歌詞の朗読をすることにしました。みんなポエトリーリーディングなんて聴いたことあるかしら?(なんせマイナーなジャンルですから)カナチャンは歌詞を忠実に朗読するのではなく、彼女なりの解釈を加え、即興で独自の「贈ることば」を語り出しました。そこにいる全員が耳をすまし、体育室の空気が少しだけ、ふるえはじめました。

 くれなずんでゆく まちの ひかり ひかり と かげ の なかで
朗読するか細い声にあわせて、わたしはギターを弾き始めました。音はまだ硬く、なかなかひとつにとけあいません。なんだか、ひとりで緊張しているみたい。穏やかに語りかけるカナチャンは歌詞をどんどんと変えていきます。

落ち着かない様子だったユウキがじっと耳を澄ましています。 テッチャンは顔を突き出し、なにかの記憶を手繰り寄せているよう。
タダッチの身体がほんの少しリズムを取っているのがわかります。
職員の井野さんは、目を閉じてとても集中しながらも、全員の反応に注意を払っている様子。
カドッチとわたしはお互いに目くばせをしてから、カナチャンを見ました。ゆっくりと朗読が終わり、拍手が起こります。「おーぅ」と、テッチャン。場の集中感がほぐれ、いい感じです。
だけど、ヌマサンは相変わらず。背中をまるめて、頭を垂れたまま。

次に、わたしがアフリカンパーカッションを手にとり、カドッチの朗読が始まります。カナチャンの手にはウッドブロックが握られています。わたしは、空間を意識してもらおうと考え、部屋の角に移動してから、ゆっくりと時計のようなリズムを叩きはじめました。心臓の鼓動をイメージしながら。
演劇人のカドッチは、明瞭な発音で、彼なりの「贈ることば」を朗読します。カドッチの低音にカナチャンが即興でからみはじめました。こんどはとても出来がいい。うん、美しい。陽光さす水の輝き。
声とことばのワークショップは、ここからが本当のはじまりでした。
『贈る言葉』の歌詞をかどっち・かなちゃんが朗読している間、ライトハウスの体育室には、不思議な時間が流れていました。
(井野さんのメールレポート11月10日分より転載)
~詩を聞いている皆の静かな『時』。きれいな『時』でした。井野は、テッチャンの「うるうるする。あとちょっとで泣きそうだ!」ユウキの「(胸に)くるな~!」と言う声を聞きました。この時、ヌマサンは心がまだ床の底です。頭は下を向いたまま。
3人のコラボレーションがおわり、わたしは参加者に呼びかけました。「よっしゃ。いっぺんみんなで歌ってみよか。」ギターの伴奏にあわせて、うろ覚えの歌詞ながら元気よく合唱。でも、何かちがう。
先程の集中感は何だったんだろう?
涼しげな顔をして、かなちゃんは言いました。
「歌詞の朗読をしてみない?」
みんなびっくりしています。「朗読?はずかしいよ~」
わたしはみんなにオモチャの楽器を手渡しました。
ユウキにはアフリカンパーカッション。テッチャンは和太鼓。ヌマサンにはウッドブロック。昔ベーシストだったというタダッチにはギターを。洗濯板をもった井野さん、かなちゃんはカリンバ、かどっちはマラカス。
「みんなで今日みたいな雨の音をだそうよ」呼び掛けたわたし。
みんなは、てんでにジャカジャカドンデン。(わぁ、うるさい)
わたしはギターの弦を静かに押さえました。『贈る言葉』のオリジナルキーのコードを心臓のビートにあわせて。
耳は、わたしに和音をくずすことを求めています。楽譜にとらわれず自由に、もっと自由に。
自然にハミングがはじまりました。(誰が最初だったんだろう?)
かなちゃんは語りかけます。「あなたの言葉で『贈る言葉』を朗読してみて」
かどっちは、みんなをサポートするように低音のハミングを響かせ、勘のいい井野さんはことばで応じます。
みんな一所懸命。気がつくと、全員が耳を澄ましています。
そして、バケツの底を叩くようだった雨が、ゆっくりと、静かに、緑なす豊かな雨音に変わり、意を決して朗読をはじめたテッチャンの勇気。そして、みんなの反応が起こりました。
「暮れなずむ町の光と影の中。」
「光、光。」「ひかり。」「影。」「かげ。」「ひかり。」
ことばへの反応。それらのことばは、彼らが人生の半ばで失ったものだったのです。

●声とことば

4人の視覚障害者と詩人たちの間に不思議な交感作用が起こりはじめました。
「光」と「影」ということばで起こり始めた反応に呼応して、
わたしもことばを返します。
「ひかり」「日曜日のひだまり」。
誰がつぶやいたか、「ひかり」「朝の陽のひかり」。
絶え間ない木霊のようにハミングが体育室を満たしていきます。
かなちゃんは朗読をタダッチにふります。
タダッチの背後にまわり、おだやかに励ますかどっち。
木訥とした語り口で語りはじめたタダッチにユーキが茶々を入れますが、
タダッチは負けない。
「ゆうぐれの町の」。誰かがつづく、「ゆうがたのかえりみち」。
「ひとりぼっちのかえりみち」と呟いたのはテッチャン。
わたしは思わず「ひとり」と反応してしまう。(しまった)
その時、落ち着きがなかったユーキの静かな生身の声をわたしたちは聞いたのでした
「ひとり」「ひとりぼっちはいやだ」
わたしは自分のことを考えていました。
自分の心に閉じ込めていた牢獄のような行き場のなさを。
ひとり。ひとりぼっちの夜の連なり。
鉄柵から漏れてくる月のひかりを。
気がつくと、カナチャンはヌマサンの側にいました。
ずっと頭をうなだれ、ほとんど反応のなかったヌマサン。
何の縁で、わたしたちはここにいるのか。
震えつづける木霊の中、セッションはまだ終わらない。

不思議な和音の中で、私達は声とともに呼吸していました。
もしも地球に、自転する音があるとしたら、こんな感じかしら?
カナチャンはヌマさんに語りはじめます。
彼女が何と言っているのかは、私の位置からは、よく聞き取れません。
カドッチもヌマさんの背後にまわり、励ましているのが見えます。
ギターを弾く私の指は、Dの分散和音をはじきつづけるだけ。
ずっとうつむいたままだったヌマさんの背筋が、
いつの間にか真っ直ぐに伸びていました。
だけど、最初のひとことがなかなか声になりません。
熱にうなされる子供のように、ヌマさんの頭が左右に揺れています。
みんなが耳を澄ましていました。
ライトハウスの体育室を満たしていた和音が、穏やかなトーンに変わり、
声の波紋の中、浮かび上がってきたのは、詩人の声と、
その声を追いかけるかのような、ヌマさんの小さな声。
おくることば。
ユーキが笑い出した。
それはエロスが蘇った瞬間でした。生きる根源としてのエロス。

セッションが終わり、大団円めいた解散の後、
カナチャンは次の仕事へ。
別れ際、カドッチが私に言いました。
「さっきのは、一体何?何やったの?」
公園のベンチで私はひとり泣いていました。
牢獄の鉄格子から見える空を想って。

最初の出会いから、半年が過ぎたある午後、ヌマさんを見かけました。
白い杖をついて、ライトハウスの外を歩いています。
カナチャンが、「あーあー!あたる!あたる!そこそこ!」と、
近所のおばちゃんのように近づいていく。
どこかユーモラスな佇まいで、ヌマさんは「あー、カナヨさん」と答えた。
私も「お久しぶりです。飯島です。
最近どうですか?」と声をかけたら、
「あー。ぼちぼちですわー」と木訥としたいい声が返ってきた。
(第一部終了)

ワークショップのあいだ、お互いの距離をちぢめるため、参加者全員があだ名で呼び合いました。本文中の記載も、その時の呼び名で記載させていただいております。