ライトハウスレポート 第二部 飯島秀司

●かのこきのこ~空を泳ぐように

1月のある水曜日、
春からルーティンで始まる「声とことばのワークショップ」の打合せのため、
ライトハウスを訪れた私は、その足で体育室に向かった。
井野さんが利用者向けに
「音と声の時間」と題したワークをやっていると聞いていたからだ。
井野さんはニコニコ笑いながら、私を輪の中に招き入れ、みんなに紹介した。
すぐに私はギターを持たされて、「桃太郎さん」を民族音楽風に演奏していた。
参加者の年齢層は幅広く、
(当然のことながら)視覚障害の程度も物事に対する反応も様々。
途中、ことばを使ったちょっとした寸劇のようなことも挟んで、
大団円を迎える頃には、なんだか暖かい気持ちになった。
後片づけの時、
「いいじまさんは、ギターを何歳から弾いているのですか?」
と聞いてきたのが、かのこさん。
桃太郎が海を渡るとき、
レインスティックで波の音を楽しそうに奏でていた彼の姿を思い出す。

彼に次に出会ったのは、まだ寒い2月の末。
兵庫県美術館で行われた視覚障害を持つ造形画家、光島貴之さんの展覧会ツアーの時。
プログラム終了後、再会した私たちは、ツアーの感想を少しの時間だが、語り合った。
かのこさんは一所懸命に話してくれる。
そう。彼は絵が大好きなのだ。

「声とことばのワークショップ」は土曜日に行われることになったので、
週末になるとライトハウスから一時帰宅するかのこさんに会うことはなかった。
そして半年が過ぎたころ、cocoroomのテーブルにかのこさんが座っていた。

ライトハウス職員の森田有子さんとかのこさんのお母さんともに、
上田假奈代と何やら真剣にしゃべっている。
「よう!久しぶりやね」遅れて席についた私は、
クリアファイルに閉じられた大量の絵手紙を目にした。
どこかおかしみのある木訥としたタッチの絵。
彼の素直なことばが添えられてある絵手紙の数々は、
いいのもあれば、もうひとつなのもある。
そして、机の上には恐竜のような造形物。これもかのこさんが造ったのだという。
なんだか彼に似ている。
ひきこもり症状だったらしく、外に出たのも2週間ぶりらしい。
勇気をふるって、かのこさんはcocoroomに来たのだ。

視覚障害者施設・ライトハウスでのワークショップで出会ったかのこさん
夏のある日、かのこさんとお母さん達が、COCOROOMを訪ねてきた。
その理由とは。

ポーカフェイスの彼は、寝込んでいたとは言わない。
そのうえ 飄々とした顔で 作品を見せ「個展やりたいんです」と言う。
ところが、である。
個展をするというのは宣言したからといって翌朝できるものではないのである。
いろんな雑多な仕事がある。それを すべて かのこさんにお話しした。
かのこさんは 困った顔をした。
展覧会をするとは、他者に見せる見てもらうことであり
表現活動は他者との交感であり、孤独を引き受けることである。
そういった話を わたしは話した。
彼は、ますます困った顔をしたけれど、
「どんなことでも ぼくは がんばります」と言う

上記:上田假奈代「人生のきりひらきかた」より一部抜粋

「がんばります」は、かのこさんだけではなかった。
『かのこきのこ展』を大急ぎでやることになったCOCOROOMもまた、
てんやわんやの大騒ぎになったのである。
オープン間もないCOCOROOMには
展覧会をやるだけのノウハウも備品も準備もないため、何から手をつけていいのやら。
いきがかり上、キュレーションは上田が担当することになった。
かのこさんの持ち込んだ沢山の絵手紙や造形物の中から
良いものをセレクトしなければならないし
キチンと額装しなければならないし
案内状を大急ぎでつくって、発送しなければならないし
デザイナーは?印刷所は?それ以前に発送先も調べないといけないし
ああニュースリリースも送らなくちゃ、新聞社なら取りあげてくれるかもしれない
照明はどうする?
ギャラリーみたいなのここにはないよ、造形物に台が必要だけどどうしよう
予算も切り詰めないといけないし
展覧会のオープニングパーティってどんな感じだったっけ?
ワークショップもやるし、絵手紙をCOCOROOMのスペースでどう見せたらいいのだろう?
困ってしまったのは、かのこさんだけじゃなかったのである。

視覚障害者施設・ライトハウスでのワークショップで出会ったかのこさん。
cocoroomで急遽、個展をひらくことになり、みんな大慌て。
まわりを巻き込み、巻き込まれ・・・。

2003年7月、かのこきのこ展オープンの朝を迎えた。
かのこさんの絵手紙が額に装丁されcocoroomの壁を飾っている。
それらは、remoのキュレーター雨森さんや美術ライターの山下さんなどの意見を参考にして、
上田假奈代がうんうん言いながら、やっとのことで選んだ14枚。
額は服部(現川崎)まみちが茨木市の額縁屋さんまで足を運んで、つくってもらったもの。
カフェのテーブルの上には、かのこさんの立体作品がさりげなく飾られているのだが、
その化粧台は、上田の母親の味左子さんが用意してくれた吉野杉の切り株をつかったものだ。
きれいに並べられているかのこさんの作品は、なんだかおめかししているみたい。

cocoroomのステージ上には、
巨大な模造紙のパネルがあり、
会期中をつかってかのこさんが、大きな作品を描いていくことに。
視野に限界のあるかのこさんであるが、かのこさんにしか描けない世界があるのではないか。
まだ何かをとらえきれていないと感じたのか、
上田は入り口の陳列ケースを膨大な量の絵手紙で埋めつくした。
そこには、かのこさんがこつこつと絵手紙を描き続けていた日々の営みがあった。
かのこさんの絵手紙の先生からは、
まねきねことお祝いのことばをあしらった絵がとどいて、
手作りだけど、素朴で、なんだか楽しい会場に仕上がったのは、かのこさんの人柄なのだろう。
準備に足しげくcocoroomまで通ったかのこさん。
そして、ご家族やライトハウスやcocoroomのスタッフの気持ちの入った仕事の結果だった。
それでも、私はまだひやひやしていた。
準備期間の短さから、宣伝がうまくいっていないのではないか。
オープニングパーティもあるのに、誰も来なかったらどうしよう。
ひやひやしながら、かのこきのこ展がはじまった。

蓋を空けてみると、「かのこきのこ展」初日の絵手紙ワーショップとオープニングパーティは、
駆けつけてくれた親戚や友人、ライトハウスの仲間達も加わり盛況で、わたしたちは胸をなで下ろした。

新聞にも小さな記事ではあるが、取り上げられ、新規さんもちらほら。
かのこさんは、この個展が決まってからは、ひきこもり状態から脱したそうで、
いきいきと来客をもてなしている。ワークショップは何度も笑いが起こり、
つづくパーティでは、参加者それぞれの思いが溢れて、暖かく感動的なものになった。
展覧会開催中の2週間に渡って、かのこさんはcocoroomに通い続けた。
かのこさんも大変だが、付き添いのお母さんの気苦労たるや如何ばかりか。
額装され壁に掛けられている14点の絵手紙は、膨大な量の中から厳選されたもの。
かのこさんが今日まで生きてきた中で感じたこと、喜びや悲しさが込められた作品一点一点に、
上田がタイトルをつけていった。

せっかくの展覧会だから、これまでやったことのないことをしようと、
舞台いっぱいに広げられた模造紙にかのこさんは絵筆を走らせる。
展示された作品の半分以上に売約の印がつけられ、クロージングパーティを大団円で迎えるころ、
このお祭りが終らなければいいな、と感じていたのはわたしだけではなかっただろう。

晩秋のある日、cocoroomに立ち寄ってくれたかのこさんはあまり元気がなく、絵手紙もあまり描いていないようだった。
上田は言う、「勇気とは一大事に必要なのではなく、繰り返しの毎日の中であきらめないこと」だと。
かのこさんが、繰り返す日々の中で、もう一度筆をとり、自らの力で展覧会を開くことを切に願う。

※ワークショップのあいだ、お互いの距離をちぢめるため、参加者全員があだ名で呼び合いました。本文中の記載も、その時の呼び名で記載させていただいております。