ライトハウスレポート 第三部 飯島秀司

「The Lighthouse Tapes vol.0」

ココルームの私の机の引き出しには、DATテープの山がある。
The Lighthouse Tapes。
視覚障害者施設でのワークショップの模様が収められたこれらのテープには、
日付と参加者名だけが記載されており、2週に1度の土曜の午後、私たちが過ごした90分の記録として存在している。
当初はあくまで記録用との意図だったので、なかなか聞き直すことがなかったのだが、
ある午後ワークショップ報告書作成の為、ヘッドフォンで独り音源に向かい合った私は、不思議な心理体験をした。
マイクの位置を調整するガサガサした音の後、重い扉が開く音がする。
ガー。
「こんにちは」「こんにちは」。
テープが進むにしたがい録音されたものが私の手を離れていく。
機械のホワイトノイズと周囲の雑多な環境音、
そして交わされる会話と声が、折り重なる残響の中で震えながら、共振している。
私は私の心の中の海深くを彷徨っているような感覚にとらわれていた。
これらのテープは、ワークショップの最初から終わりまでをそのまま録音しているだけなので、基本的に地味で、凡長な時間が多くを占めている。
しかし目を閉じて、収められた音に身を任せると、視覚イメージをともなった美しいヴィジョンを感じることが出来た。
これはスタッフと視覚障害者達によって創られた集団作品と言えるかもしれない。
私はテープに刻まれた時間の繊細なニュアンスに、自分達のやっていることの脆さを自覚し、途方に暮れていた。

ライトハウスレポートの第3部は、これらThe Lighthouse Tapesに添って筆を進めていきたいと思う。

「The Lighthouse Tapes vol.1」坂の途中で

視覚障害者施設ライトハウスでの録音したテープは、いつも雑談から始まっていく。椅子にたどりつくまでの短いナビゲートの間、声はいつも自然と小さくなる。
くぐもったガットギター響きで、その日の空模様までわかってしまう。そんな気がするだけだろうか。手始めに、たっぷりのストレッチと深呼吸を繰り返す。テープに収められた環境ノイズの中から、かすかな呼吸の音が聞こえてくる。
詩人が吉野弘の詩を読む。「犬とサラリーマン」。
犬と会話をかわしそうになるが、思いとどまる。そんなサラリーマンの呟きが幻の風景にようにそこにあった。
それから、身体をまっすぐにしてみる。
それぞれの声の持ち主がぎこちなく声を重ねはじめる。
詩人は話しかける。
好きな坂について教えてください。
坂についての思い思いがゆっくりと、ゆっくりと、返ってくる。
あなたの好きな坂はどんなでしたか。
父さんとトラクターで坂を走ったなぁ。それぐらいだ。
あなたの坂の想い出を聞かせてください。
いつも坂を探していました。自転車で駆け降りる為の坂を。
あなたの暮らした町の坂は、どんな坂でしたか。
くだっては、のぼり、のぼっては、くだり。
毎日、毎日、どこまでもつづく坂をのぼりおりするのがつらかったぁ。
坂を語る女の声が、歩んできた人生について。
テープレコーダーを前にした私は、はっと息をのむ。
くだっては、のぼり。のぼっては、くだり。
さっきの男が、しみじみ言う。
そのうち坂を探すことが、とてもばかばかしいことだと気づき、そんな遊びはやめてしまったのです。
やがて、いくつもの声が立ち上がる。雲母のように幾層にも重なった声が確かな存在をなしはじめる。ときどき、ひときわ大きくなる男の声に、声の持ち主のその場への精神的な負荷と、エゴに似た自意識の緊張を聴くことができる。それはまぎれもなく私の声だった。
意志を持ちはじめたように、声々がオーケストラのように響いた。
混濁していたハーモニーが澄み渡りはじめ、雲の上に糸が伸びていく。
その場所で、詩人はひとりだった。彼女がもういちど話しかけようとする時、言葉は、ひとりからひとりへ向けられた詩を詠う声に変わっていった。青空が広がっていく。

「The Lighthouse Tapes vol.2」沈黙のとき

その日のDATテープには緊張が収められていた。
ガットギターのやわらかい音色の中で、参加者の雑談がつづく。
私の声がワークショップの始まりを告げる。
人も木々も楽器も呼吸しているのだ、とその声は言う。大きく深呼吸。
上田の声がつづいた。新芽のお話。あたたかな春の日だ。
中上健次の「鳳仙花」を上田は読んで聞かせる。熊野を舞台にした物語。
静謐な時間が流れている。
しかしこのテープには、時折、茶々を入れる大声が録音されていて、その度に場全体に微かな緊張が走るのが聞き取れる。
読了後、上田を中心に「海」についての対話がはじまる。
ある者は溺れた話。
またある者は昔の恋人の哀しい思い出話。

参加者達の海にまつわるエピソードに、わいわいと楽しいムードが広がって行く。
そして、そんな中、ある年配の女性の思い出話が止まらなくなる。
はじめはあいずちも入っていたが、だんだんと声高になり、孤立したトーンを帯びてくる。
場が沈んでいくのが、テープからでもよくわかる。
和やかにみえるワークショップ自体、実はギリギリのバランスで成り立っている。
それが露になる沈黙の数秒。
私に一体何が出来ただろうか。
上田は黙って女性が喋り終わるのを見守っていた。
テープからは、やがて場に静かな集中力が戻るのが聞き取れる。
最後までハミングは起こらなかった。
その後、彼女がワークショップには来ることはなかった。
4ヶ月が経過したある日、私は彼女と顔をあわせ「お久しぶりですね!」と声をかけた。
彼女の腕には包帯が巻かれている。
「あなたは誰ですか?」
「私ですよ、ワークショップでお会いした飯島です」
「憶えていません、あなたは誰ですか」少し会話してから、私はその場を辞去した。

先日、ライトハウスの食堂で、再び彼女と会った。
「飯島さん、前に声かけてくれはったねぇ」と、彼女は言った。

「The Lighthouse Tapes vol.3」台風

その日は朝から近畿一帯に台風注意報。
どこか胸騒ぎにも似た、台風が来る前独特の静けさが町をつつんでいる。
8月のライトハウスは一時帰宅者が多くを占め、ここジョイフルセンターの体育室には、私と職員の井野さんの2人だけ。
遅れて上田も加わり、3人で困ったなぁと顔を見あわせていると、Iさんやってきた。
生まれた時から全盲だった彼女は、いつもほがらかで、引っ込み時案なところもあるけれど、いつもワークショップを楽しみにしてくれていた。
マットレスが敷かれ、みんなで寝転ぶ。
井野さんが谷川俊太郎さんの詩を読んでみた。
愛とエロスについて雑談になる。今日はお話をしているだけでもいいかなぁ、なんて思っていたら、
上田は「みんなで詩をつくってみましょうか」と言うのだった。
紙とエンピツが用意され、会話が書き留められていく。
私はギターを手にしてポロポロと気ままさにまかせた。
Iさんの台風の思い出は無花果の木と結びついている。
“台風がきても 無花果の木は倒れない 姉がぼた山でひろった無花果の木
2本ひらった無花果の木 2本とも倒れない木 丈夫な木”
井野さんの台風は、夢で見た光景。
“マンションの14階まで水につかり ありもしない黒のピアノがベランダに流れてきた”
Iさんは、さらに遠い昔の記憶をさぐる。
“記憶にもない小さい時 母の母の兄さんが 避難するように迎えにきてくれた”

ギターをつま弾く手をとめ、体育室の外に耳を澄ますと、
台風はまだ気配だけが漂っているのだった。

「The Lighthouse tapes vol.4~地面に折姫と彦星がある~」

DATテープに残されたその声の主は、もうこの世の人ではない。
小柄な女性だった。わたしが柴田さんに出会ったのは、昨年の7月。
ライトハウスでのワークショップでのこと。
職員の井野さんに連れられ、やってきた柴田さんは、視覚だけではなく、会話も聞き取りづらい様子で、他の参加者とは明らかに違う雰囲気をもっていた。柴田さんと初めて接したわたしは、どんな風にコミュニケーションをとったら良いのか正直わからず、井野さんの助けがなかったら、その日のワークショップは成立しなかったかもしれない。
テープに残された音源の中に印象的な場面がある。とても小さな音量だ。
柴田さんとわたしが懸命にコミュニケーションをとりあっている。
“はっ”と、わたしの声。
“はっ”、追いかける柴田さんの声。
“はっ”、”はっ”。”はぁ”、”はっ”、”は”、”はは”、”はっ”。
お互いの反応が相乗効果をおこし、プリミティヴなリズムに発展していく。
参加者達の発する声が濃霧のようにあたりを包み込み、声のリズムがつづいていった。
音源は続いて、前の年のワークショップの話から七夕の話へ移っていく。
参加者それぞれの七夕の思い出やイメージがぽつり、ぽつりと語られていく。
やがて柴田さんの順番になり、わたしは彼女の耳元で、「七夕の思い出はありますかぁ」と少々大声を出す。
柴田さんは、聞こえているのか、聞こえていないのか、しばらく右へ左へぐらぐらと揺れた後、ぶるぶると身体を震わせながら、彼女独特の微かな発声で、何かを説明しはじめた。どうも柴田さんのお家の周辺の地形を説明しているらしい。要領を得ないわたしは、「ほう」とか「うんうん」とか、ややオーバーに答えている。やがて彼女は「ジメン二、地面に織姫と彦星」と言った。わたしは、「ええ!地面に織姫星と彦星があるの?」と訊ねた。すると柴田さんは、小さな顔を “うんうん”と頷かせた。

何とも言えない不思議な空気が一瞬流れた。
大地に輝く織姫と彦星を観たような、そんな空気が、一瞬流れた。

「The Lighthouse tapes vol.5~地面に折姫と彦星がある(中編)~」

「地面にある織姫と彦星」と、小さくかすれた声で発語した柴田さん。
彼女はそれ以後も”声とことばのワークショップ”に毎回参加するようになった。
隔週で開催されるこのワークショップへの参加者はその都度、顔ぶれが微妙に変わり、前回来たある人が今回は来なかったりといった不安定な状況だったにもかかわらず、柴田さんは毎回積極的に参加した。
柴田さんの声は注意を払わないと聞き取れない程、あまりに小さく、弱々しかったが、それでも人一倍ワークショップを楽しみながら、彼女はがんばりつづけた。ワークショップがある日の柴田さんは朝からわくわくしている、と井野さんから聞いた。柴田さんは、同室のIさんと特に仲がよく、親友と呼べる人を得たライトハウスでの生活は、彼女にとってようやく訪れた心穏やかな日々だったのかもしれない。ちなみにIさんというのは、このコラムの前回のエピソード「台風」のIさんである。
ある日私がIさんに「今度クリスタ長堀で上田さんのライブと展覧会があるよ」と言うと、「わたしもいきたいなぁ」とぽつりとつぶやき、申し訳なさそうに、切なく笑った。
そんなIさんにもライトハウスを修了する日がやってくる。
残された柴田さんはIさんに宛てた詩を書いた。
そう、彼女は詩を書いたのだ。
私が柴田さんと会った最期の日のワークショップで、柴田さんは唄をうたった。
うたった唄は「若者のうた」。
うたったといっても、柴田さんの声はとても小さいので、ワークショップ参加者のみんなが応援した。
みんなの声が合唱になった。
井野さんが耳をそばだて、柴田さんのことばを聞く。
「次回のワークショップではがんばってIさんに宛てた詩を朗読してみたい」とのこと。
私はとても嬉しく思った。
ワークショップをつづけてきてよかったと。
しかし次の回のワークショップに、柴田さんの顔はなかった。

ライトハウスからを出なければならなくなった、と聞いた。
癌が見つかったのだそうだ。

「The Lighthouse tapes vol.6 ~地面に折姫と彦星がある(後編)~」

柴田さんの不在と時を同じくして、ワークショップは低調になっていった。
修了していく参加者。
2年間つづけてきたワークショップの場が、だんだんと意義を失いつつあった。
柴田さんの存在は大きかったのだ。
梃入れとして、生活訓練部からの参加が始まったが、そこに強い動機は存在しなくなっていた。
「あなたは視覚障害者を利用しているのではないか」と面と向かって言われたこともある(その正否を計るには、時間が必要だろう)。
私はワークショップの前になるととても憂鬱になり、ライトハウスに行くのが嫌になった。
そんな中、井野さんから電話をもらう。
「(闘病中の)柴田さんに音の手紙を送ってあげたいので、協力してほしい」と。
ワークショップを録音する作業をずっとつづけていた私は了解した。
録音の日、参加者は生活訓練部からの女性がふたりとAさんSさんと井野さん。
私はワークショップの合い間、自分の生活が今とてもだらしなくなっていて、なんとか立て直したいのだと、面白可笑しく語った。ワークショップの形式がなんとも息苦しく感じられ、何か新しいことをやりたいと思ったが、その時の私は逸脱するだけの方法論もエネルギーも持ち合わせていなかった。
私は自分のつくったメソッドにがんじがらめだったのかもしれない。
時間の最後に、柴田さんへの音の手紙の録音に協力してほしい旨をみんなに伝えた。
呼吸を整え、ギターの即興演奏が始まると、声のハーモニーも立ちあがってくる。
柴田さんの代役として朗読を担当するのは井野さん。
Iさんに宛てた私信のような詩が、やさしく、しっかりと発語される。
これはIさんに宛てた手紙ではなく柴田さんに宛てた手紙だった。
朗読が終わっても、ハーモニーは途切れることなく、やがて”若者たち”の合唱に変わっていった。

録音されたCD-ROMは井野さんを通じて柴田さんのもとへ届けられた。
病状が思わしくなく、連絡もままならない状況の中で、柴田さんはそのCD-ROMを何度も聴いてくれたそうだ。
しばらくして嬉しい便り。
柴田さんは随分元気になり、ライトハウスに訪問されたことを聞いた。
私はライトハウスでつづけてきたワークショップの新たな可能性を求めて読歩projectを立ちあげていた。
また柴田さんに会える日が来たらいいな、なんて呑気に考えていた。
しばらくしてメールが届く。
私にとっては突然の訃報だった。
後日井野さんは私に語ってくれた。
どんなに病状が進んでも、決して弱音を吐かず、最後までがんばり通した柴田さんの死顔は、貴い仏様のようだったと。
井野さんの泪で曇った声を聞きながら、私は、ライトハウスでのワークショップをこのまま終わらせるのではなく、何らか形を変えてでもつづけていく方法はないか、と自分に問うていた。

柴田さんの面影が見ていた。
誰のためでもなく、ただ、この細い糸を繋いでいく。

「The Lighthouse Tapes」シリーズ終了。
次回から、ライトハウスレポート最終章「対話の午後」をお送りします。お詫び
前々号のコラム上で不適切な表現があったことをお詫びします。
柴田さんは、社会経験、生活経験から起こる、「声の小さい」状況を持っている利用者さんでした。