カレイドスケイプ「あなたとわたしの間に」

プロフィール

上田假奈代(詩人)

1969年奈良県生まれ
3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。各種イベント企画制作、ワークショップを手がける。視覚障害者や高齢者、親子、中高生向けの詩のワークショップに取り組む。異ジャンルとのコラボレーションや、トイレ連込み朗読、ぽえ茶会シリーズ、寝っころが詩朗読など、独自のリーディングスタイルを展開。朗読CD「あなたの上にも同じ空が」、「詠唱・日本国憲法」などを発表。2005年3月には、茂山あきらとの狂言詩・「山と穴」を公演予定。大阪フェスティバルゲートcocoroom・こえとことばとこころの部屋(NPO法人申請中)代表、APM代表 http://www.kanayo-net.com

野村誠(現代音楽家)

1968年名古屋生まれ。8歳の頃、自発的に作曲を始める。CDブック「路上日記」 (ペヨトル工房)、CDに「Intermezzo」(エアプレーンレーベル)、「せみ」(Steinhand)など。作曲作品に、「だるまさん作曲中」(2001:ピアノと管弦楽)、「つみき」(箏2重奏)など多数。2003年、アサヒビール芸術賞受賞。ほ かには、JCC ART AWARDS(96年)、NEW ARTISTS AUDITION 91(SONY MUSIC ENTERTAINMENT)グランプリ(91年)などを受賞。今後、Groningen Jazz Festival(オランダ)での演奏、Ikon Gallery (イギリス)での新作発表、山口情報芸術センター(山口)でのオーケストラコンサー ト、えずこホール(宮城)でHugh Nankivell(音楽家)との新プロジェクトなどの活動を予定。


上田假奈代と野村誠の出会い

1988年の京大西部講堂にさかのぼる。若き日の二人に、未来はどんな姿に見えたことだろう。
92年、上田/野村による初コラボレーション。朗読と音楽のセッションははじめての試みだった。この時、ふたりは勇気のかけらを手に入れたのだと思う。この世にまだみぬ何かを見いだしてゆくためのちいさな芽を。そして、それぞれの道を歩きはじめたふたりのアーティストの10年ぶりの邂逅は、次の未来への旅のはじまりを予感させる。


三木楽器開成館

大正14年(1925)に建設された三木楽器本店は、鉄筋コンクリート造、地下4階・地下1階建ての建物である。
縦の線を強調した簡潔な外観のデザインに、時代の特徴がよく現れている。 これはドイツの著名なピアノ製作会社の本 社建物の外観をモデルにしたものと伝えられている。
外観は茶褐色のタイル貼りで、2階・3階の窓の間には植物のレリーフを加え装飾している。 心斎橋筋に面してショーウインドウを設け、中央の玄関上部にはステンドグラスが取り付けられている。
これまでに外壁を中心とした改装工事が行われているが、創建時の姿を忠実に復元しており、 室内空間は創建時の姿を忠実に復元しており、室内空間は創建時の姿をよく留めている。
大正期の都市部における商業ビルの好例を示す建物である。(大阪市教育委員会)
三木楽器「開成館」は国の登録有形文化財に定められています。

concept for 「大阪楽座事業」

わたしたち”こえとことばとこころの部屋”は「大阪楽座事業」を通じて、建造物のもつ歴史/記憶に耳を澄まし、今を生きる意義や未来への展望を考察します。

三木楽器開成館 アクセス・マップ


レポート

カレイドスケイプ「あなたとわたしの間に」とは何だったのか
このプロジェクトは、詩人・上田假奈代と音楽家・野村誠が、糸遍の町・大阪本町にて採集された音と、その町に現存する歴史的建造物を背景に、コラボレイトを行なう公開ライブドキュメンタリーである。
アーティスト達は、ライブイベントとして結実する二夜までに、幾度も非公開の思索/ワークショップを繰り返し、それぞれの日常や表現の間にある距離を計る作業を行う。”詩”と”音楽”という異分野のコラボレーションをより一層結実させるため、2004年9月26日には公開プレライブ(この日にもライブレコーディングを決行)という形でcocoroomの舞台を踏んでいる。
迎えた本番当日、サウンドスケイプとして、切り取られた大阪の日常音が、会場である三木楽器開成館に流される時刻は、アーティスト達には知らされていなかった。上田の朗読と、野村のピアノ。突如として会場に立ち現れるサウンドスケイプ。その状況全体をレコーディングする行為。これは”ライブドキュメンタリーアート”という新しい表現スタイルを試行する一大プロジェクトでもあったのだ。

◎EVENT DATA
歴史的建造物を使用した公開レコーディングライブイベント
カレイドスケイプ「あなたとわたしの間に」
日時:2005年3月5日(土)6日(日) 19時~20時30分
会場:三木楽器開成館内サロン
出演:上田假奈代(詩人) 野村誠(音楽家)
主催:特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋
※平成16年度大阪楽座助成事業

◎大阪楽座事業(大阪府)
歴史的建造物を保存・活用する府民意識の醸成と、文化活動の場の拡大とまちの賑わいづくりを目的として、 民間団体が主催する歴史的建造物を活用した文化活動を公募し、優れた企画に対して補助金を拠出する事業

カレイドスケイプ「あなたとわたしの間に」3/5 -3/6 ライブ評
TEXT:阿佐田亘(cocoroomコーディネーター/アーティスト:大和川レコード)

本来なら、3/5と3/6のライブ評は別々に書かれなくてはならないと思ったのだが、 この公演では、あえて統一評を書かせていただく。

まず、このライブは、私の直感ではあるが、上田假奈代 、野村誠両氏にとって、彼ら(彼女ら)がこれまで踏んできた舞台のなかでも、非常に稀有なライブとなったのではないかと思う。私は上田のライブも野村のライブも今まで何度か体験してきたが、その中でも、このライブは今後、特別なものとして二人の記憶に刻まれるのではないかと直感したのであった。それは「表現とは何か」「なぜ表現をするのか」という問いに対する答えであったり、もしくはその答えを考える契機を得るための一日として刻まれるのではないかと思う。

さて、朗読と音楽の公開ライブレコーディングという形で行われた今回のライブは、私が今まで観て来た、”朗読×音楽”のコラボレーションの中でも、かなりバラエティーに富んだ内容で楽しませてもらった。この手のセッションは、大抵にして、”朗読のバックに演奏がある”というパターンが見られるのだが、今回の場合は、朗読と音楽が等価の関係にあるアンサンブルであった点が見所であった。つまり”声”という、表現として非常にフロントに位置しやすい音の中でも、野村のピアノは強烈な個性として響いて来たのだ。お互いの表現を同期させる大きくゆるやかな波形と、お互いの表現の間を埋めるよう行き来しあう小さく細かい波形の、両方が繰り返され描かれる演奏。その行為を突き詰めて行くと、やがて、言葉はピアノの音色になりピアノは言葉となって降りかかってくる気がした。

音の交換に耳を澄ましていると、二人の行為は、それが表現であると同時に、会話をしているかのように聞こえてくる。会話は相手の言っていることを聞くだけではなく、相手の表情や目を捕らえる。このライブで非常に印象的だったのは、ピアノの手を止めてまで振り返り、上田の表情を伺おうとする野村の姿であった。上田は二日目、このようなことを言っていた。「相手の立場になるのではなく、相手のまなざしになるのではなく、相手の現実をみた自分がそのことを書き記し、言葉にして伝えていくこと。このことを表現としている」と。野村は、上田が体験し捕らえた現実を、彼なりに再度捕らえ直し、表現に置き換えるという緻密な作業を得て、演奏していたのであろう。上田にしても、今回はかなり日常レベルでの表現の在り方を探っているように見受けられ、事実、彼女がこのライブで行なっていた朗読は、いわゆる朗読という形式より”語り”に近い言葉の伝達であった。その光景を観ながら、彼女が一日目も二日目にも言っていた「作品を朗読する(表現する)ことと現実の日常にずれがある」という想いが、私の中で反芻されるのであった。”語り”に近い言葉の伝達は、まさにその表現と現実とのずれを埋めたいがための彼女なりの術であったのかもしれない。

このような事を思いながら、私は、この公演のタイトルである『あなたとわたしの間に』という言葉の意味を考えてみた。それは、人間は他人が体験した現実を自分が体験したかのように語ったり行動することはできない故に生まれる、他人と自分(あなたとわたし)の”間”であり、その”間”をとことんまで認識したところで放たれる二人の表現は、確かにこのテーマにふさわしいものであったように思える。また、このライブは「”わたし(自分)”の”日常”」と「”あなた”‘(他人)への”表現”」というものとの”間”を、”距離”を計測する行為であったようにも思える。二人の日常の一部としてのフィールドレコーディングの中で二人の会話や歩く音が録音されていたが、実際に目の前で行なわれている演奏もまた、限りなく日常レベルでの行為のように見えてくるのが感じられたのであった。

上田假奈代と野村誠。二人のアーティストの10年ぶりの邂逅。
10年ぶりのコラボレーションは同時に、10年ぶりの二人の心境の”確認作業”であったのかもしれない。

大阪楽座事業によせて
歴史的建造物を使用した公開ライブレコーディングイベント
カレイドスケイプ「あなたとわたしの間に」
TEXT:飯島秀司(プロジェクトディレクター/cocoroom/音楽家)

カレイドスケイプ「あなたとわたしの間に」は、ふたりのアーティスト/詩人・上田假奈代と音楽家・野村誠の他に、もうひとつ、主役があった。三木楽器開成館。この建物は大正14年、商人の町・大阪船場のど真ん中に建築された。わが国における楽器販売業の老舗、三木楽器の店舗及び社屋として今も機能している現役の建物である。ぴかぴかのグランドピアノと最新鋭のデジタル機器が何台も居並ぶ店舗風景は壮観。スーツ姿の店員さん達の立ち居振る舞いに、かつての庶民にはとても手の届かなかったピアノの高級感の匂いが立ちのぼる(もちろんピアノは今でも高級品であるが)。

わたしたちは、今回、大阪楽座事業助成を受けるにあたり、この歴史的建造物の持つ空気感や、船場の町の息づかいといったものを音の記憶としてとらえ、表現者たちの拮抗する姿をも同時に記録する=サウンドスケープとして捕らえるというコンセプトをたてた。

さて、わたしはこのプロジェクトのディレクション担当として事業を進めていく中で、どうも三木楽器側とうまくコミット出来なかったようだ。何か問題を起こしたというわけではなく、ほぼつつがなく万事は進行していった。そう。ほぼ問題を起こさなかった。わたしたちは、彼らの”いいお客さん”だったのだ。
開成館サロンは、近年、内装をリニューアルしたらしくとても綺麗。どこかで見たような大広間の風情には、積み重ねられた時間の記憶など感じとれず、何かが期待はずれだったことを知る。ルーティンの場所貸し業務として、三木楽器は誠実に対応してくれたと思う。しかしわたしは、歴史的建造物にあたりまえのように漂う保守的なムードに風穴を空けることを望んでいた。それこそが、わたしたちの仕事なのではなかったか。わたしは上田假奈代と野村誠の十年ぶりのコラボレーションの場に、なんとも空疎なパッケージを用意してしまったのだ。

そんなチグハグさに生命を吹き込んでくれたのはアーティスト達だった。リハーサル、思索、旅、ワークショップ。西成、本町、大阪、京都、金沢、神戸、東京、タイ。何度も町を歩く上田。野村も歩きつづける。DATテープに記録されていく時間。重なりあうことでそれらはホワイトノイズに近づいていく。サロンに至る木製の手すりにもたれて写真に収まるふたり。二台のグランドピアノが置いてある控え室へ上田が友人を招きいれる。戯れに鍵盤の音がポロポロと重なりあい、おし黙っていた野村がピアニカを奏でた時、楽しく美しいポリフォニーが現れた。”あなたとわたしの間”をさぐる。距離。そして直感と意志。

ライブの初日、開演してすぐ、上田は唐突に言った「詩を読みたくないのよ」。野村が応じる「じゃ読まなきゃいいじゃん」。そこからようやくドラマが動きはじめ、わたしは、この時間を記録することの重要性をやっと感じることができた。