■リンク6「希望のフェスティバルゲート」

マキクニヒコ(コマイナーズコレクティブ/阿倍野ヒューマンドキュメンタリー映画祭事務局)

あれは2002年の5月くらいだったかな。
上田假奈代さんがフェスゲの一角に拠点を持って活動することになったらしいよ、という噂を耳にした僕は早速どんなところか覗きに行ったことがある。
初めて入ったcocoroomは床のところどころにブルーシートが敷かれていて、手作りの内装作業がまだまだ当分続きそうな様子だった。それでも假奈代さんは突然訪問した僕のために手を止めてお茶を淹れてくれた。
「ねぇマキさん、ここで何か企画やってくれへん?」
「うん、ええよ。で、どんなことをしたらええんかな?」
「それがね、わからへんのよ・・・」
半開きの出入り口から強い西日が差し込み、フェスゲ館内に強引に流れる空々しい童謡が思考を分断させる。環状線の走る音をいくつか数えながら、この場の行く末をイメージできないまま僕は帰ったのだった。

あれから5年。
フェスゲがある場所は社会と向き合わざるをえない聖地だった。それぞれの領域でアート活動を展開するために移ってきたはずの人たちがこぞって社会的な問題に身を投じ、アート的切り口でもって問題を切り開くようになっていった。その動きの先頭に立っていたのがcocoroomだ。
おそらくcocoroomが目標を立てて計画通りに、なんてことを一番やっていなかったからこそこうなったのだと思う。(失礼!)行き着く先が見えてなくても、次々と降りかかる問題はその都度走りながら考えてきた。そういう態度は無責任なのではなくて、社会に対して向き合う覚悟があるからこそできる態度なのだと僕は思う。
計画だけは立派で、その通りに進めていくことには心血を注ぐけどあとは思考停止という無責任な態度の会社的人間によって生まれた、前代未聞の大失敗フェスティバルゲート。
もうこれは無かったことにしてしまいたいと思っている大阪市は、ここを公共利用するなら立派な計画を出せと言う。そして、言われたとおり立派な計画をフェスゲチームは提出した。
でも、狛犬のようにそばで見ていた僕の本音は、計画に縛られず今までどおり走りながら考えて進めるのがいいと思う。
前代未聞の失敗の中に芽生えた前代未聞の起死回生の種。フェスティバルゲートがまるで花畑のようになっていくイメージを僕は持っている。

マキクニヒコ
1969年兵庫県播州赤穂生まれ。小学校非常勤講師→ロックバンドのベーシスト→児童劇団プロデューサーなどを経て現在は障害者のヘルパー。ヘルパー仲間の浜村不純氏と音楽ユニット「コマイナーズ」を組んでゆるく音楽活動中。伝説のスーパーグループ「ほうきぼしブラザーズ」をcocoroomと共同でプロデュース。この春から私立高校の非常勤講師と阿倍野ヒューマンドキュメンタリー映画祭の事務局も引き受けてしまった。頼まれると断れない性格。