■リンク3「まちと出会い、まちを知る、しかし私たちに何が出来るのか?」

雨森信(インディペンデントキュレーター/NPO法人remo・ブレーカープロジェクト)

いつからか日常から切り離された芸術を再び社会の中に取り戻すこと。2003年より新世界を拠点に展開してきたアートプロジェクト(Breaker Project, art school, art in the city)は、その実践である。既存の美術空間、システムでは飽き足らず、独自の表現方法を開拓し活動する美術家たちと、まちや人と関わりながら創造の現場をまちの中に創出するプロジェクトである。

新世界は、2002年からスタートしたNPO法人remoがスペースをかまえるフェスティバルゲートが位置するところ。たまたまここに拠点をかまえることになった私たちは特にこのまちと縁があったわけではない。

この新世界との最初の出会いは、伊達伸明による『ウクレレと歌留多で語る新世界』。取り壊される建物の一部からウクレレを制作し、在りし日の家の記憶を保存するという活動を行う伊達は、新世界の現存する建物、おもに店舗を中心に60軒の各々歴史や思い出を聞き取るフィールドワークを実施。もちろん営業中の店舗の一部を切り出すわけにはいかないので取材先の建物を「もしウクレレを作るとしたら」ということで写真で撮影。その写真とインタビューから「新世界ウクレレ歌留多」が完成した。

その他、通天閣下や新世界、西成の各所で開催した移動式カフェ『野点』(きむらとしろうじんじん)。

子どもがお金を使わずに遊び、学び、創造する場としての「かえっこ」(恵美小学校、敷津小学校)や子どものためのパブリックスペース『ヌイグルミシアター』(藤浩志)の開催。

古くなったものや空間に色を塗ることで再生させるという活動を展開するフランク・ブラジカンンドは、大阪に残る最後の路面電車、阪堺電車の車両と恵美須町駅、また日東小学校や愛染公園(日本橋)の遊具をペイントするプロジェクト『Urban Concern ? Osaka』を子どもや一般の参加者と共に行った。

また、昨年行った「新世界・映像日記」では、地元住民12名が自らカメラを持ち、自分たちのまちを撮影。映像で切り取ることで、まちに潜在する魅力や歴史を再発見し、テレビなどのマスコミでは取り上げられることのない新世界の風景をインターネットで発信している。コミュニティ・メディアづくりに向けた第一歩である。子どもの頃の遊び場だった美術館周辺、路地、普段の仕事場(お店の中)からの風景、通天閣50周年記念の点灯式など、実に様々な視点で撮られた多様な新世界が150点ほど集まっている。(http://breakerproject.net/eizonikki/

 このように、アートを媒介にまちに出会い、コミュニケーションが生まれ、お互いに刺激され相互に作用することで、また新たな活動が始まる。少しずつではあるが、まちにアートが根付き始めたのだ。これは、私たちの活動のベースが新世界のフェスティバルゲートにあるからこそ出来たことであり、4年間の活動の成果でもあると言えるだろう。しかし、私たちはまちづくりの専門家ではないし、アートはまちづくりのために存在するわけではないということも言っておきたい。このような活動ですぐにまちが活性化するほど、アートは便利な代物でもない。新世界、日本橋、西成とそれぞれが問題を抱えるディープ・サウス・オオサカ・エリアが、今後活気ある魅力的なまちへと変わってゆけるかどうかは、住んでいる人自身がまちの未来像をイメージし、それに向かって活動を生み出してゆけるかどうかにかかっている。その時に、アートに潜む創造力、新たな視点や価値観は重要な要素となる。言ってしまえばアートの役割なんてそれだけのことなのだけれど…しかし、まち、そしてさらには社会の大小様々な問題をクリエイティブに解決する「第三の方法」を開発するためには、もしくはがんじがらめで身動きの取れない状態を突き抜けるだけエネルギーを生み出すためには、やはり創造力は欠かせないのだ。また、その創造力が花開くためには、長期的な展望が必要であろう。「創造都市一日にして成らず」である。まずは、既に存在する活動を継続すること、そしてさらなるダイナミズムを生み出す魅力ある場として、新たなフェスティバルゲート「アート&ソーシャルインクルージョン 創造的公益事業モデル創出事業」を実現することを切望する。

雨森信(あめのもり のぶ)
2002年、NPO法人記録と表現とメディアのための組織(remo)を立ち上げ、上映会や博覧会などを企画。また大阪市の文化事業として「BreakerProject(2003~2004)」や子どもを対象にしたアニメーションワークショップ「art school(2005)」、「art in the city(2006)」をプロデュース。様々なプロジェクトの実践を通して、芸術と社会をつなぎ、まちの中に創造活動の場を開拓。